白丹村
しらにむら
久住村の南西、大野川の支流稲葉川の上流域高原に立地。白仁とも記す。中世の直入郷白仁名の遺称地。肥後街道が通る。慶長豊後国絵図に村名がみえ、高一千一四〇石余。慶長六年(一六〇一)の中川秀成知行方目録案(中川家文書)に「しらにの郷」とみえ同高。寛永一一年(一六三四)の熊本藩豊後国郷帳でも同高。正保郷帳では田高四〇七石余・畑高七三三石余、茅山・柴山・竹藪山・新田がある。元禄見稲簿では、白丹村内の米賀(米加)・戸畑・丸山・宮原・稲葉の五ヵ村分を含めて同高。天保郷帳では高一千二五六石余。旧高旧領取調帳では高六七二石余。これは宮原・稲葉両村が分離し高付されたためと思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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