白南雲(読み)はくなんうん(英語表記)Paek Nam-un

改訂新版 世界大百科事典 「白南雲」の意味・わかりやすい解説

白南雲 (はくなんうん)
Paek Nam-un
生没年:1895-

朝鮮の歴史家,政治家。全羅北道生れ。水原高等農林学校,東京商科大学(現,一橋大学)に学んだ後,延禧専門学校(現,延世大学校教授となり,朝鮮史の研究に従事主著《朝鮮社会経済史》(1933)《朝鮮封建社会経済史・上》(1937)は,史的唯物論に基づく社会構成体的な発展段階論を朝鮮史にはじめて適用したものとして,今なお古典的な意味をもつ。解放後は政治家としても活躍し,新民党委員長,民主主義民族戦線議長,勤労人民党副委員長等を歴任した後,北朝鮮に赴いた。共和国でも教育相,科学院院長等の要職を歴任したが,1960年代以降の消息は不明。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「白南雲」の意味・わかりやすい解説

白南雲
はくなんうん / ペクナムン
(1895―?)

北朝鮮の学者、政治家。全羅北道高敞(こうしょう)生まれ。水原高等農林学校、日本の東京商科大学で学んだのち、延禧(えんき)専門学校教授となり、1933年(昭和8)日本で『朝鮮社会経済史』を出版した。一時「研究会事件」で検挙、投獄される。解放後、ソウル学術院、民族文化研究所を創立したのち、新民党委員長、民主主義民族戦線議長、社会労働党副委員長として左翼政界で活躍。1947年勤労人民党副委員長として入北し、南北政治協商会議に参加した。1948年人民共和国教育相、1955年科学院長、1961年最高人民会議常任委員会副委員長、祖国平和統一委員会副委員長、1974年祖国戦線議長に就任し、北朝鮮要人の1人となっていたが、その後老齢化のためか消息不明。1970年代に死去したものと思われる。

玉城 素]

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世界大百科事典(旧版)内の白南雲の言及

【朝鮮】より

…植民地期の朝鮮人自身による朝鮮史研究を,現在の韓国の研究者たちは社会経済史学,民族史学,実証史学の三つのグループに分けているが,独自の体系的な朝鮮史把握を示して,日本人研究者の朝鮮史像に批判を加えたのは,前二者であった。 社会経済史学の立場,これは史的唯物論にもとづく歴史研究のことであるが,この立場を代表する研究者は白南雲(福田徳三の門下)であった。彼はマルクス主義的な発展段階論を朝鮮の歴史にも適用できると考えた。…

※「白南雲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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