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朝鮮史 ちょうせんし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朝鮮史
ちょうせんし

朝鮮の編年史。 1932~38年に編纂。朝鮮古代から朝鮮王朝 (李朝) の高宗 31 (1894) 年6月 27日までの朝鮮関係の文献史料を,朝鮮内部だけでなく中国,日本のものも収録しようとした。この叢書は朝鮮総督府朝鮮史編修会が編纂し,総目録,総索引各1冊,本文 35冊で,本文は6編に分れ,第1編三国時代3冊,第2編統一新羅時代1冊,第3編高麗時代7冊,第4~6編朝鮮王朝時代 24冊。第1編は朝鮮,日本,支那各史料編に分け,原文を収録しているが,第2編以下は3国の史料を年代順に配列し,概要だけを記し,出典を付記している。史料集としての欠陥は第4編以後で,野史,日記などを採録しなかったこと,高宗 31年以後を削除したことである。 1976年に東京大学出版会から全 37冊として復刻出版された。

朝鮮史
ちょうせんし

伝説によると中国殷の賢人箕子が今日のピョンヤン(平壌)特別市付近に箕子朝鮮を創始したが,前2世紀初め燕人衛満の衛氏朝鮮に代わられたという。前108年,漢の武帝により衛氏朝鮮は滅ぼされその故地に「漢四郡」が設けられた。やがて 4世紀初頭,高句麗が漢四郡の一つ楽浪郡を滅ぼし,それと前後して帯方郡も韓族らによって滅亡した。3世紀頃,朝鮮半島南部にはいわゆる「三韓諸族」が活動していたが,4世紀半ば頃そのなかから百済新羅が建国し,高句麗と並んで三国時代を現出した。三国のなかで新羅は最初の国家を形成し,任那による日本勢力を打倒,次いで唐と結んで 7世紀後半百済,高句麗を滅ぼして統一王朝を開いた。しかし 9世紀以降中央の権力も低下し,地方では「後三国」と呼ばれる豪族割拠の時代を迎えた。松岳(開城)付近出身の豪族王建はその反乱を平定し天授1(918)年高麗と称したが,935年新羅は王建に投降し,翌 936年王建は全土を統一した。しかし王建の高麗国の時代は中国では宋から明初の時代にあたり,異民族の侵入に苦しめられた。すなわち高麗は本来宋に朝貢していたが,11世紀初頭には契丹,続いて女真の脅威を受け,13世紀に入るとモンゴル帝国の侵入を受け,国王は江華島に脱出した。結局モンゴル軍の圧力に屈し,婚姻関係を結んでその属領的支配下に置かれた。13世紀後半にはの対日遠征に協力させられ,国力は低下し,国王もモンゴルにとどまることが多く,あらゆる面でその影響を受けた。14世紀後半,中国に朱元璋が現れて明帝国を創建し,モンゴルを漠北に追放すると,高麗でも親元,親明の 2派が対立したが,親明派の李成桂(太祖)が反対派を倒し,太祖1(1392)年即位して同 2(1393)年朝鮮と称し,漢城(今日のソウル特別市)を首都に定めた。王氏高麗朝は仏教を国教としたが,朝鮮王朝(李朝)は仏教を抑えて儒教を政治に取り入れた。太祖以来 15世紀の世宗から成宗の頃までは国初の全盛期で,大いに学問,芸術も発達した。しかし 16世紀末 2度にわたる豊臣秀吉の軍隊の侵入を受け(→文禄・慶長の役),さらに 17世紀には後金(のちの清)軍の侵入を受けて国力が弱化し,加えて朝鮮王朝特有の党争が王国の権威を低下させた。19世紀以後は欧米の経済侵略や日本の軍事的侵略を受け,1910年の日韓併合で日本の植民地となった。しかし日本の植民地支配に対しては義兵闘争が起こり,また 1919年には三・一運動という全民族的独立要求運動が起こった。1945年,日本の敗戦によって植民地支配から解放されたが,アメリカ合衆国,ソビエト連邦の対立によって 38度線で分断され,1948年,南には大韓民国が,北には朝鮮民主主義人民共和国が成立した。1950年には朝鮮戦争が発生したが 1953年休戦協定が成立,分断は固定化して今日にいたっている。

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