白嶽遺跡(読み)しらたけいせき

日本歴史地名大系 「白嶽遺跡」の解説

白嶽遺跡
しらたけいせき

[現在地名]上県町佐護南里 大江

大江おおえの北の河岸にある岩山白嶽の西麓の鞍部に箱式石棺の群集墓があった。明治末期頃に発掘され、遺物佐護さご小学校に保管されていたが、一部は大正五年(一九一六)当地を訪れた鳥居龍蔵に贈られ、学界に注目された。異形細形銅剣・結紐状銅器(剣把頭飾)・角形銅器(刀子把)・貝釧形青銅器(腕輪)などが知られる。同一〇年後藤守一は佐護小学校に所蔵されていた鉄製鍬先・鉄製剣身・土器類を調査、現地の状況について石棺は二、三基かとし、一基は一坪内外の地を占め、いずれも独立した群集墳をなすなどと報告、第二次世界大戦後に各地で行われた箱式石棺の調査の嚆矢となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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