白浜郷
しらはまごう
「和名抄」所載の郷で、東急本では之良波万と訓を付す。天平九年(七三七)の紀年銘のある正倉院宝物調庸布銘(正倉院宝物銘文集成)に安房国印とともに「平群郡□□郷清□里大弓部得万呂調布壱端 長四丈二尺」とみえ、郡郷里制下の当郷に「清□里」があり、大弓部得万呂が調布を貢納していることが知られる。「日本地理志料」では現館山市正木近辺をもと白浜郷と称したという「安房国誌」の説を採用して、平久里川下流右岸の館山市正木・亀ヶ原・川名・船形などの地に比定し、「大日本地名辞書」では穂田郷を割いたとして現鋸南町吉浜付近に比定している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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