調布(読み)チョウフ

デジタル大辞泉 「調布」の意味・読み・例文・類語

ちょうふ【調布】[地名]

東京都中部の市。名は、古代、麻が栽培され、多摩川の水にさらして布を織り、調(税)としたことによる。もと甲州街道宿場町深大寺じんだいじ神代植物公園がある。人口22.4万(2010)。

ちょう‐ふ〔テウ‐〕【調布】

租税の一つとして官に納める手織りの麻布。つきぬの。たづくり。
粗末な衣服。
「身には―のかたびら、濯ぎけむ世も知らず朽ちたる」〈今昔・一五・一五〉
小麦粉・卵黄などを用いて薄く焼いた皮で求肥ぎゅうひを包んだ菓子。

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精選版 日本国語大辞典 「調布」の意味・読み・例文・類語

ちょう‐ふテウ‥【調布】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 調として官に納める布。たづくり。つきぬの。
      1. [初出の実例]「勅、以調布一万端、商布三万一千九百廿九段、充西海道造雑器仗之料」(出典:続日本紀‐天平五年(733)閏三月壬辰)
    2. 転じて、粗末な衣服。
      1. [初出の実例]「老法師の、䒾のまでけ懸たるを係て、身には調布の帷」(出典:今昔物語集(1120頃か)一五)
    3. 小麦粉に卵黄と砂糖をまぜて焼いた薄皮の中に求肥(ぎゅうひ)を包んだ菓子。になぞらえたもので、「調布」と焼き印した。岡山市の名物。
  2. [ 2 ] ( 古代、多摩川の水にさらした布を、朝廷への調にあてたところから ) 東京都中部の地名。多摩川の北岸に古くから開けた。江戸時代は甲州街道の街村として発達。京王帝都電鉄・国道二〇号(甲州街道)・中央自動車道が通じ、第二次世界大戦後急速に住宅都市として発達。深大寺・都立神代植物公園がある。昭和三〇年(一九五五)市制。

たつくり【調布】

  1. ( 調として朝廷に納める布を多摩川の水でさらしてつくったところから ) 「ちょうふ(調布)[ 二 ]」の古称
    1. [初出の実例]「其水上は調布(タツクリ)や、さらす垣根朝露を」(出典:浄瑠璃神霊矢口渡(1770)四)

つき‐ぬの【調布】

  1. 〘 名詞 〙つき(調)の布(ぬの)
    1. [初出の実例]「調布 ツギヌノ」(出典:観智院本名義抄(1241))

つき‐の‐ぬの【調布】

  1. つき(調)の布

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「調布」の意味・わかりやすい解説

調布(市)
ちょうふ

東京都中央部にある市。1955年(昭和30)調布、神代(じんだい)の2町が合併して市制施行。古代、高句麗(こうくり)などからの渡来人によってアサが栽培され、多摩川の水にさらして布を織り、調(税)として朝廷に出したことが地名の由来。市のほぼ中央にある布田(ふだ)(布多)も調布と関係の深い地名である。多摩川の左岸にあり、沖積地を除いて大部分武蔵野(むさしの)台地に位置する。この台地は武蔵野面立川面(たちかわめん)の二つに分かれるが、その境の国分寺崖線(こくぶんじがいせん)とよぶ崖端には湧水(ゆうすい)があり、崖線沿いに流れる野川などの河川に流れ込む。野川は市内中央部をほぼ東に流れ、川沿いにサイクリング道路がある。

 江戸時代に甲州街道の宿場町として集落ができ、1913年(大正2)京王電鉄京王線の開通以後、住宅地化が始まり、第二次世界大戦後の1960年代以降、公団住宅などができて急速に宅地化、一方、農業は減少した。電機製品、工業用ミシンなどの工業もみられるが、住宅都市としての性格が強い。旧甲州街道沿いには商店街が見られ、調布駅周辺には大型店がある。

 関東では最古級の白鳳(はくほう)期の仏像、銅造釈迦如来倚像(どうぞうしゃかにょらいいぞう)(国宝)をもつ深大寺(じんだいじ)があり、付近は湧水を利用したそば、ニジマスの料理屋があることで知られる。なお、東部の湧水地には武者小路実篤(さねあつ)の邸跡が実篤公園として開放されており、記念館がある。深大寺に接して都営の神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)があり、面積約50万2000平方メートル、四季を通じて花が咲き美しい。京王電鉄京王線、国道20号が市の中央部を横断、中央自動車道調布インターチェンジ、調布飛行場がある。調布駅から分岐する京王電鉄相模原線(けいおうでんてつさがみはらせん)の京王多摩川駅近くに京王フローラルガーデンANGE(アンジェ)(2002年京王百花苑(えん)がリニューアル)、競輪場がある。また宇宙航空研究開発機構の航空宇宙センター、電気通信大学、NTT中央研修センター、桐朋学園大学、白百合女子大学などがある。面積21.58平方キロメートル、人口24万2614(2020)。

[沢田 清]

『『調布市百年史』(1978・調布市)』『『調布市史』民俗編(1988・調布市)』『『調布市史』全3巻(1990~1997・調布市)』



調布
ちょうふ

古代日本における令(りょう)制下の租税の一種である「調(ちょう、つき)」として納めた手織りの布のこと。「つき(の)ぬの」「手作(たづくり)」とも称する。成人男子の人別に課し、徴した絹、綾絹(あやぎぬ)、絁(あしぎぬ)、綿、布は中央政府の官用にあてた。また転じて、粗末な衣料をいう場合がある。なお、東京都下の地名「調布」は、多摩川の水にさらして織った布を調の料に納付したところからおこった名であり、岡山の名菓「調布」もこれになぞらえたもの。

[兼築信行]

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改訂新版 世界大百科事典 「調布」の意味・わかりやすい解説

調布[市] (ちょうふ)

東京都南部の市。1955年調布町と神代(じんだい)町が合体,市制。人口22万3593(2010)。地名は古代,帰化人が織った麻の布を調として朝廷に献じたことに由来する。市域の大半は武蔵野台地上にあり,南部は多摩川沿いの低地である。現市街地は江戸時代に甲州街道沿いに設けられた街村状の宿場町,国領,下布田,上布田,下石原,上石原の布田五宿を中心に形成された。明治に入って1889年に調布町が置かれ,1913年に京王線が開通して新宿と結ばれたため,近郊住宅地として発展しはじめた。市内には第2次世界大戦をはさんで電気機械,化学,ゴム,食品などの工場が立地するほか,戦後は住宅団地の進出もめざましい。京王線は調布駅で相模原線が分かれ,市のほぼ中央を中央自動車道が通り,調布インターチェンジが開設されている。多摩川沿いには映画撮影所,京王閣競輪場,京王百花苑(現,京王フローラルガーデン・アンジェ)があり,市北部の台地末端の湧水地点一帯は樹木が多く,都立神代植物公園深大寺は行楽客でにぎわう。都営の調布飛行場があり,東京都の離島と航空路で結ぶ。
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百科事典マイペディア 「調布」の意味・わかりやすい解説

調布[市]【ちょうふ】

東京都中部,多摩川北岸の市。1955年市制。中心市街は江戸時代,布田(ふだ)五宿と呼ばれた甲州街道の宿場町。多摩川を境に神奈川県川崎市に接する。1913年京王線開通以来,住宅地として発展,現在も宅地化が著しい。京王相模原線が分岐し,中央自動車道が通じる。調布駅周辺は大型デパートや旧甲州街道沿いの商店街がにぎわっている。電気機器,機械製造,食品などの工業が行われる。布多(ふだ)天神社,深大(じんだい)寺,神代植物公園などがある。21.58km2。22万3593人(2010)。
→関連項目電気通信大学桐朋学園

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普及版 字通 「調布」の読み・字形・画数・意味

【調布】ちようふ

貢布。

字通「調」の項目を見る

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デジタル大辞泉プラス 「調布」の解説

調布

岡山の名物菓子。小麦粉に卵や砂糖を加えて焼いた皮で求肥を巻いたもの。

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世界大百科事典(旧版)内の調布の言及

【桜田治助】より

…門下に笠縫専助,木村園夫(えんぷ),村岡幸治,福森久助,2世桜田治助がいる。(2)2世(1768‐1829∥明和5‐文政12) 俳名調布,左交。江戸生れ。…

※「調布」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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