白石凡(読み)シライシ ボン

20世紀日本人名事典 「白石凡」の解説

白石 凡
シライシ ボン

昭和期の評論家 元・朝日新聞論説副主幹;日中文化交流協会常任理事。



生年
明治31(1898)年7月25日

没年
昭和59(1984)年3月21日

出生地
山口県下関市

本名
白石 嵓(シライシ イワオ)

学歴〔年〕
京都大学経済学部〔大正14年〕卒

経歴
大正14年朝日新聞社入社し、昭和25年から東京本社論説副主幹。日中国交正常化前の30年、朝日新聞社が中国の京劇を日本に招くため訪中したが、32年に退社後も日中の文化交流に当たり、日中文化交流協会常任理事となる一方アジア・アフリカ作家日本委員会委員長なども務めた。著書に「サンチョ・パンサ言葉」、編書に「中国叢書」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白石凡」の解説

白石凡 しらいし-ぼん

1898-1984 昭和時代の新聞人,評論家。
明治31年7月25日生まれ。大正14年朝日新聞大阪本社に入社,学芸部長,出版局長,論説主幹を歴任。アジア・アフリカ作家会議日本委員会委員長,日中文化交流協会常任理事などをつとめた。昭和59年3月21日死去。85歳。山口県出身。京都帝大卒。本名は嵓(いわお)。著作に「サンチョ・パンサの言葉」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「白石凡」の解説

白石 凡 (しらいし ぼん)

生年月日:1898年7月25日
昭和時代の評論家;新聞人
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の白石凡の言及

【漫才】より

…落語や講談と違って万才は形の決まらない即興の話芸であり,その不定形の様式が,この時代に万才の発展した原因である。そのように万才の様式を使い慣らしたのは横山エンタツ(1896‐1971)であり,彼が相方の花菱アチャコ(1897‐1974)との掛合いですでに手がかりをつかんでいた話芸の芽をさらに大きく伸ばしたのは,朝日新聞大阪本社の白石凡(1898‐1984)が,彼を秋田実(1905‐78)に引き合わせたのが機縁となっている。秋田実は大阪生れで,東京大学中国哲学科に在学中,日本労働組合全国協議会傘下の機関誌部に入り,非合法の活動に加わった。…

※「白石凡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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