白銀後町(読み)しろがねごちよう

日本歴史地名大系 「白銀後町」の解説

白銀後町
しろがねごちよう

[現在地名]高岡市白金町はつきんちよう末広町すえひろまち

白銀町の東に続き、南は下関しもぜき村。地子町で、歩数六九歩(不歩記)。明治六年(一八七三)の歩数一千五三六坪七合のほか、囚獄屋敷三一一歩があった(沽券調総計帳)。天明五年(一七八五)の家数五〇(家数書上帳)、明治五年の家数八七(高岡史料)当地には寛永一四年(一六三七)より目安場が設置され、町奉行の伊藤内膳が目安場奉行を兼務した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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