百嶋村(読み)ももじまむら

日本歴史地名大系 「百嶋村」の解説

百嶋村
ももじまむら

[現在地名]津島市百島ももじま

村の北端佐屋路に面し、東は莪原ばいばら村、南は白浜しらはま村、西は牛田うした村に接している。元応元年(一三一九)五月二五日の尼了意等連署寄進状(醍醐寺文書)に「おわりのくにかいとうのこほりのうちほゝのくわうみようし、きしんするもゝしまのてんはくとうの事」とあるのが文献上の初見。寄進状案文では「桃嶋」の字をあてている。織田信雄分限帳では「百嶋」になっている。弘化四年(一八四七)村絵図(徳川林政史蔵)によれば、村域の中央をふたでら悪水筋が南北に流れ、集落本流支流の悪水井筋に囲まれている。「徇行記」は「田地ヌマリ所也」としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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