百枝村(読み)ももえだむら

日本歴史地名大系 「百枝村」の解説

百枝村
ももえだむら

[現在地名]三重町百枝 百枝

牟礼むれ村の南西、北流する大野川東岸にある。近世を通じ臼杵藩領。慶長二年(一五九七)の三重郷検地帳写(渡辺家文書)には百枝村と西原にしばる村分と合せた一冊が含まれ、村位は上。同一一年の惣御高頭御帳に百枝村とみえ、高三八一石余、中ノ村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば本高三一八石余・出来高六三石余、田方二八五石余・畑方九六石余、小松山などありと注記される。


百枝村
ももえだむら

[現在地名]佐伯市海崎かいざき 百枝

海崎村の南端部、佐伯湾に突き出した大石おおいし崎の後背山地に立地。慶長期(一五九六―一六一五)には戸穴ひあな村に属した。慶長六年六月の戸穴村検地指出帳(佐伯藩政史料)に百枝村とみえ、文禄二年(一五九三)の検地高は田高一五八石余・畑高五七石余・屋敷高四石余、うち川成引七五石余・永荒引一〇四石余。慶長六年五月の戸穴村検地指出帳(同史料)によれば、同二年の検地高二七一石余。同一六年の戸穴之内海崎村指出帳(同史料)では海崎村の構成村として村名がみえ、高二二一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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