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毛利高政 もうり たかまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

毛利高政 もうり-たかまさ

1559-1628 江戸時代前期の大名。
永禄(えいろく)2年生まれ。尾張(おわり)(愛知県)の人。豊臣秀吉の家臣。中国攻めの講和のとき毛利方の人質となった縁で毛利姓となる。文禄(ぶんろく)4年(1595)豊後(ぶんご)(大分県)日田2万石に入封。慶長6年(1601)関ケ原の戦後処理で移封され,豊後佐伯(さいき)藩2万石の初代藩主となった。寛永5年11月16日死去。70歳。初姓は森。通称は勘八郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

毛利高政

没年:寛永5.11.16(1628.12.11)
生年:永禄2(1559)
江戸初期の豊後佐伯藩(大分県)初代藩主。元姓は森,父は森九郎左衛門高次,母は瀬尾小太郎某の娘。播磨(兵庫県)明石郡で3000石を領し,豊臣秀吉に仕えていた。天正10(1582)年の秀吉の備中(岡山県)高松城攻めに際し,毛利方への人質となり,これを機に毛利に改姓した。文禄4(1595)年,豊後(大分県)日田に2万石を与えられ,再度の朝鮮の役に出兵,関ケ原の戦の翌慶長6(1601)年4月,佐伯に入封。新規築城,城下町の建設のほか,豊後水道に面した港湾の在町,蒲江浦の経営は著名。<参考文献>『鶴藩略史』『温故知新録』『大分県史・近世篇Ⅰ』

(後藤重巳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の毛利高政の言及

【日田[市]】より

…1594年(文禄3)宮木長次が隈城に入部し,城下町の隈を造成した。97年(慶長2)には毛利高政が入り,1万石を領するとともに日田・玖珠(くす)両郡の太閤蔵入地を統治し,1601年高政が佐伯に移封した後はその預領地,および江戸幕府の代官小川光氏の直轄地となった。光氏は丸山城を築き,その城下町丸山を形成した。…

【毛利氏】より

…(1)西中国の雄族で中・近世大名(図)。大江広元が相模国毛利荘をその子季光に譲り,季光がここを苗字の地としたのに始まる。季光は宝治合戦(1247)で三浦氏に荷担したため同荘を没収されたが,その第4子経光は荷担せず越後国佐橋荘,安芸国吉田荘等を保持した。経光は1270年(文永7)両所を第4子時親に譲った。吉田荘では96年(永仁4)領家・地頭間で下地中分(したじちゆうぶん)が行われ,時親は吉田,麻原(おはら)を領した。…

※「毛利高政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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