朝日日本歴史人物事典 「毛利高政」の解説
毛利高政
生年:永禄2(1559)
江戸初期の豊後佐伯藩(大分県)初代藩主。元姓は森,父は森九郎左衛門高次,母は瀬尾小太郎某の娘。播磨(兵庫県)明石郡で3000石を領し,豊臣秀吉に仕えていた。天正10(1582)年の秀吉の備中(岡山県)高松城攻めに際し,毛利方への人質となり,これを機に毛利に改姓した。文禄4(1595)年,豊後(大分県)日田に2万石を与えられ,再度の朝鮮の役に出兵,関ケ原の戦の翌慶長6(1601)年4月,佐伯に入封。新規築城,城下町の建設のほか,豊後水道に面した港湾の在町,蒲江浦の経営は著名。<参考文献>『鶴藩略史』『温故知新録』『大分県史・近世篇Ⅰ』
(後藤重巳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報