百槻村
どうづきむら
[現在地名]相馬市百槻
南飯淵村の南の平坦地に位置し、北西部を限る宇多川の対岸は中村。総士禄高調の文禄二年(一五九三)の項などによると、百槻右兵衛が住み、采地五八貫三五五文を有していた。百槻右兵衛胤正は文間四郎次郎胤朝の裔であるが、永禄六年(一五六三)秋、中村城代と黒木城代が伊達氏に誘われて相馬氏に背いたとき、これにくみして当村を離れた。しかしのち許され、天正年中(一五七三―九二)に戦功をあげ、当村に改めて采地を受けた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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