皆川利吉(読み)ミナガワ リキチ

20世紀日本人名事典 「皆川利吉」の解説

皆川 利吉
ミナガワ リキチ

大正・昭和期の労働運動家



生年
明治26(1893)年7月3日

没年
昭和47(1972)年12月28日

出生地
東京市芝区兼房町(現・東京都港区)

学歴〔年〕
宮原小学校卒

経歴
明治40年呉海軍工廠に旋盤工見習いとして就職し、のち石川島造船所などで働く。アナキストとして活動していたが、大正15年日本労働組合総連合結成会計就任。この間日本大衆党中央委員などを務めた。昭和6年ILO第16回総会に労働代表顧問として出席。9年芝区議、14年大日本産業報国会技能部副部長。17年神戸製鋼所三重工場に勤務し、19年労務課長。戦後労働組合再建に従事し総同盟三重県連合会を結成した。また社会党参加、地方労働委員会労働委員などを歴任し、35年民主社会党の結党に参加した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「皆川利吉」の解説

皆川利吉 みながわ-りきち

1893-1972 大正-昭和時代の労働運動家。
明治26年7月3日生まれ。機械工としてはたらき,アナーキズム系活動家となる。大正12年機械労働組合連合会で幹事,15年結成の日本労働組合総連合で会計,中央常任執行委員。神戸製鋼所三重工場労務課長をへて,戦後は総同盟三重県連総主事などをつとめ,のち民社党に参加。昭和47年12月28日死去。79歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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