皆川治広(読み)ミナガワ ハルヒロ

20世紀日本人名事典 「皆川治広」の解説

皆川 治広
ミナガワ ハルヒロ

明治〜昭和期の司法官僚,弁護士



生年
明治8年3月7日(1875年)

没年
昭和33(1958)年3月7日

出生地
愛媛県松山市

学歴〔年〕
東京帝大法科大学仏法科〔明治36年〕卒

経歴
明治39年検事任官、大阪、小倉、東京の地方裁判所検事を務め、43年フランス、ドイツ、スイスの大学に留学。大正9年司法省人事局長、次いで広島控訴院検事長、名古屋控訴院検事長、司法次官、東京控訴院長を歴任した。昭和12年退官し、以後東京市教育局長、学校の教授や団体理事、顧問などを務めた。戦後公職追放、弁護士となる。著書に「思想問題判断の鍵」「血の力」「世界平和確立の根本問題」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「皆川治広」の解説

皆川治広 みながわ-はるひろ

1875-1958 明治-昭和時代前期の司法官。
明治8年3月7日生まれ。39年検事に任官。司法省人事局長,広島・名古屋の控訴院検事長,司法次官,東京控訴院長を歴任し,昭和12年退官。14年東京市教育局長。昭和33年3月7日死去。83歳。愛媛県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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