益城国府跡(読み)ましきこくふあと

日本歴史地名大系 「益城国府跡」の解説

益城国府跡
ましきこくふあと

和名抄益城郡の下に「万志岐」と和訓を付し、その左に「国府」と列記している。この記事は従来誤記とされてきたが(事蹟通考)、城南町一帯が精査され、白鳳期の創建とみられる陳内じんない廃寺跡の東方のまいばら台地南縁が肥後国府に比定された(城南町史)。標高約三〇メートルの低台地で、西側に浜戸はまど川の貫流する城南町の低地を一望することができる。発掘の結果、基壇とみられる遺構を検出したが、規模については不詳。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

大寒の用語解説を読む