コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

益田兼尭 ますだ かねたか

2件 の用語解説(益田兼尭の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

益田兼尭 ますだ-かねたか

?-1485 室町時代の武将。
石見(いわみ)(島根県)の豪族益田兼理(かねまさ)の子。幕府の引付衆。将軍足利義政(よしまさ)の命にしたがい,畿内(きない),中国,九州などを転戦した。雪舟等楊(とうよう)と交遊があった。文明17年5月23日死去。通称は孫次郎。別名に兼広。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

益田兼尭

没年:文明17.5.23(1485.7.5)
生年:生年不詳
室町時代の武将。父は兼理,母は馬田某の娘。幼名松寿丸,通称孫次郎。左馬助,越中守と称した。永享3(1431)年に父,翌年兄藤次郎と相次いで没したため,急遽家督を相続。同7年,一族・扶持人ら105名が神文を捧げ,松寿丸を惣領として支えていくことを誓約。同10年以後,室町幕府の命に従い連年のように畿内,中国,九州,四国各地を転戦。これらの功により,寛正1(1460)年ごろ幕府引付衆の一員に列せられる。翌2年家督を嫡子貞兼に譲り,以後は貞兼と連携しつつ勢力の拡大と権力の安定に努めた。応仁の乱では,貞兼が大内政弘,陶弘護と結んで山名宗全方の西軍に属す一方,兼尭は足利義政の命に従って細川勝元方の東軍に属することで乱後の一族の安定を図り,石見国人連合の盟主たる地位の獲得に努めた。晩年は七尾城麓の大雄庵に住み,雪舟とも交友があった。益田市雪舟記念館には,現在も雪舟筆の益田兼尭画像が保管されている。<参考文献>広田八穂『中世益田氏の遺跡』

(井上寛司)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

益田兼尭の関連キーワード三淵宗薫足利義久意雲兼家厳宝長尾房景長瀬泰貞波多野通郷山内首藤煕通遊佐国長

今日のキーワード

災害派遣

天災地変その他の災害に際して,人命または財産の保護のために行なわれる自衛隊の派遣。災害出動ともいう。都道府県知事などの要請に基づいて,防衛大臣が派遣することを原則とするが,特に緊急を要する場合,要請を...

続きを読む

コトバンク for iPhone