鎌倉・室町幕府において、訴訟専門機関である引付に属して訴訟審理にあたった役職。引付は鎌倉幕府の第5代執権北条時頼(ときより)が、裁判の公正を期し、能率化を図るために、1249年(建長1)に設けたもの。当初は御家人(ごけにん)が当事者である訴訟を扱う機関であったが、のち所領関係の訴訟を専門に扱う機関となった。引付は時期によって3~8の法廷をもち、各法廷では、引付頭人(とうにん)の指揮の下に、評定衆(ひょうじょうしゅう)、引付衆、奉行人(ぶぎょうにん)おのおの数名が訴訟審理にあたり、判決原案を作成して評定会議に上程した。引付衆には北条氏一門・有力御家人と文筆系職員とが任命されたが、しだいに北条氏一門の占める割合が高くなっていった。それはやがて、評定衆に進む階梯(かいてい)として北条氏一門の年少者が就任するという傾向も生んだ。評定・引付の制は室町幕府にも受け継がれ、内談(内評定)において評議するので、内談衆ともいわれたが、やがて衰退し、評定衆、引付衆の区別も不分明となり、その実質を失っていった。
[山本博也]
鎌倉・室町両幕府において,引付の各番に属し,引付頭人(とうにん)の指揮のもと相論の審理にあたった者。引付の設置当初は,右筆(ゆうひつ)出身の実務官僚を中心に,有力御家人らが任じられたが,しだいに北条氏一門が多数を占め,引付衆は評定衆への昇進の順路として位置づけられるようになった。室町幕府の引付衆は内談衆(ないだんしゅう)ともいわれ,政所寄人(よりうど)とあわせて右筆方奉行人と総称されたが,のち引付沙汰の中絶により名目だけの存在となる。
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…室町時代から,村・町・大名家・幕府などに見られる。室町幕府では宿老である評定衆に対して引付衆が中老と呼ばれていた。戦国大名武田氏にも中老の職があったことが《甲陽軍鑑》に見える。…
…1249年(建長1)12月9日に初めて置かれた機関で,三~五方の部局に分かれ,所領相論を中心とする裁判を担当した。一方は引付衆と引付奉行人とからなる。引付衆は評定衆兼務の2~3名を含んだ若干名で構成され,評定衆兼務の1名が引付頭人として,他の引付衆の補佐を得て,訴訟全体の指揮をした。…
…そのメンバーは執権・連署をはじめとする北条氏一門と,大江,二階堂,三善,清原,中原等の吏僚層が大半を占め,ときに三浦,千葉,安達等の有力御家人が選ばれたものの,それは世襲にはいたらなかった。こうして評定制は北条氏の執権政治を支える役割を果たし,49年(建長1)に御家人訴訟を扱う裁判機関として引付衆が置かれると,評定衆と引付衆は一体となって幕府の政治・裁判制度の完成をもたらした。北条氏一門の評定衆は引付衆を兼ね,中でも引付頭人は一門が独占して北条執権体制はここでも貫徹していた。…
※「引付衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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