盛新村
もりしんむら
[現在地名]城端町盛新
二ッ屋川右岸の高台にあり、東は大鋸屋村と中尾村の一部、南は瀬戸村、西は上見村、北は中尾村。北野村吉松の宗右衛門が近隣の村々から新開入百姓十数戸を募り、加賀藩に請願し瀬戸村・中尾村領の森林を開墾した。村名は森林を新開する意味でつけられた。瀬戸村用水の取入口を広げ崖上の山林を開削する難工事で、不動明王像を安置して祈願、ついに村立てを成し遂げたという(城端町史)。延宝六年(一六七八)に新開し高一五二石余、享保一七年(一七三二)には高二三八石余(三箇国高物成帳)。文化九年(一八一二)に組高帳入。文政八年(一八二五)能美組、天保一〇年(一八三九)以降山田組に属した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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