東西に通る
〈京都・山城寺院神社大事典〉
宇多・醍醐両天皇に重用された道真は、延喜元年(九〇一)藤原時平の讒言により大宰権帥に左遷され、
道真の怨霊を北野に祀る経過は、当宮蔵の「北野天神縁起」によれば、天慶五年(九四二)
筑後川支流の旧
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市上京区馬喰町に鎮座。祭神は菅原道真,相殿には中将殿(道真の長子,高視),吉祥女(道真の北の方)をまつる。道真は903年(延喜3)に大宰府で没し,905年に味酒安行が神託によって墓地に神殿を造立した。これが太宰府天満宮である。942年(天慶5),右京七条二坊の多治比文子(たじひのあやこ)が神託によって自宅の辺に道真をまつったという(現,下京区天神町,文子天満宮)。947年(天暦1),神良種(みわのよしたね)の子,太郎丸に託宣があり,北野朝日寺の僧最珍の尽力があって,同年,北野の右近衛府の馬場の地に神殿を造立した。これが鎮座の由来である。道真の怨霊をまつったため道真に対する信仰があり,かつ無実の罪を救い,正真の徳を守る信仰が起こった。これに,この地に古くから天神社があり,また,雷公(雷神)をまつった場所でもあったため祈雨,避雷,五穀豊穣の神としての信仰を併せた。また,所在地が皇居の背後に近接していたので国家鎮護の神となり天皇家,藤原氏に尊崇された。中世には念仏往生思想が導入されて往生守護の神ともなり,また,本地垂迹(ほんじすいじやく)思想からは本地仏は観世音菩薩とされた。文学の神として尊崇されたことは986年(寛和2)の慶滋保胤(よししげのやすたね)の願文に見えている。平安時代から道真が能書であると評されて,書道の神とされ,さらに,14世紀末からは渡唐天神の伝説が加わった。また,野見宿禰(のみのすくね)の後裔であるとされるところから相撲界の尊信もある。中世の天神信仰は《北野天神縁起》(北野天満宮蔵,国宝)によって知ることができる。菅原氏の崇敬はもちろんであるが,とくに足利氏は尊氏以来,あつく庇護したので室町時代には最も隆盛であり,社領も山城,丹波,近江をはじめとして24ヵ国,80ヵ所を数えた。また,豊臣氏は社殿を造営し,徳川氏もさらに庇護を加えた。明治になって官幣中社北野神社と改名されたが,第2次世界大戦後,旧名(北野天満宮)に復した。社務の別当職は1004年(寛弘1),比叡山の僧是算(ぜさん)が補せられたのに始まり,天仁年間(1108-10)寺号を曼殊院と号し,明治維新まで続いた。北野には目代を置いて事務を処理した。祠官は宮仕(みやじ)と称し,松梅院,徳勝院,妙蔵院その他があり,江戸時代には松梅院が神事奉行として責任者となり,宮仕が交替して年預(ねんよ)となり社務をつかさどった。祭礼は25日が月例祭で,ほかに10月4日の〈ずいき祭〉など多い。道真が和歌を好んだことから宮中の年中行事に北野聖廟法楽和歌があり,また天神が連歌を好むという伝説から,鎌倉末より社頭で連歌が興行され,連歌所が設けられ月次会が興行された。
→天神信仰
執筆者:宗政 五十緒
現在の社殿は豊臣秀頼が片桐且元を奉行として,1607年(慶長12)に再建したもので,本殿(桁行5間,梁間4間)の前に拝殿(桁行7間,梁間3間)をおき,両者を石の間(桁行3間,梁間1間)で連結したいわゆる権現造の形式である。さらに拝殿の両側に楽の間が接続している。権現造は,秀吉をまつった豊国廟にも採用され,桃山時代の霊廟に広く用いられ,日光東照宮に用いられたことから,この名称がつけられた。権現造は,石の間造とも呼ばれ,元来土間であった石の間は,本殿,拝殿より一段床が低く張ってある。この形式の社殿は,北野神社では平安時代にすでに成立していた。権現造は江戸時代にも好んで用いられたが,その発達をみると,当社は古式を保っている。その最も特徴的なところは,石の間で,化粧屋根裏の雄大な姿をみせている点,また建物の外部は素木を主体とし,蟇股などの彫刻に彩色をほどこす点も保守的である。
執筆者:宮沢 智士
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都市上京(かみぎょう)区馬喰町(ばくろちょう)に鎮座。祭神は中殿に主神菅原道真(すがわらのみちざね)朝臣(あそん)、東間(ひがしのま)に中将殿(道真の長子高視(たかみ))、西間に吉祥女(きちじょうにょ)(道真夫人)を祀(まつ)る。太宰府(だざいふ)天満宮とともに全国天満宮1万余の宗祠(そうし)で、北野天神、天満天神、火雷(からい)天神、天満宮天神など種々の称号がある。二十二社に列する。
道真は左遷されて大宰府で903年(延喜3)に没したが、その後京都に異変が多くおこり、これを道真の祟(たた)りとおそれ、天神信仰を生じた。942年(天慶5)7月13日、西京(にしのきょう)七条に住む巫女(みか)多治比奇子(文子)(たじひのあやこ)は道真の託宣を受け、邸内に小祠(しょうし)を構えて神霊を奉祀(ほうし)、947年(天暦1)山城(やましろ)国葛野(かどの)郡上林(かんつはやし)郷なる北野の現在地に移祭した。同じとき近江(おうみ)(滋賀県)比良社(ひらしゃ)禰宜(ねぎ)良種(よしたね)の子太郎丸に神託があり、北野朝日寺の僧侶(そうりょ)最鎮(さいちん)もこの移祭に協力して社殿を設けたのが北野天満宮の創祀である。この地には以前から北野天神とよばれていた雷神の祠堂があり、現在も本殿の背後に摂社北野天神社として祀られている。959年(天徳3)には九条右大臣藤原師輔(もろすけ)が三間三面庇(ひさし)檜皮葺(ひわだぶ)きの殿舎を造営、菅公(かんこう)命日の2月25日に鎮霊するとともに宝物を献じ、祭文を捧(ささ)げて子孫繁栄を祈請、九条家の隆盛は天神の加護によるといわれた。社観を一新すると、孔子の聖廟(せいびょう)に倣って北野聖廟とよばれ、菅公の霊は「文道の祖、風月の本主」と崇(あが)められた。現在も学問の神として受験成功祈願の参詣(さんけい)者が多い。
987年(永延1)一条(いちじょう)天皇の皇太后宮の典侍(てんじ)に神教があって神殿を改造、同年8月5日、菅原氏の者を奉幣使にたてて北野祭(まつり)を始行し、以後、官幣社となった。993年(正暦4)には道真に左大臣正一位、さらに太政(だいじょう)大臣が追贈された。1004年(寛弘1)10月には一条天皇により初度の北野行幸があり、以後歴朝の行幸が続けられた。社務別当(べっとう)職はこの年菅原氏出身の比叡山(ひえいざん)西塔東尾坊の僧是算(ぜさん)が任ぜられ、のち曼殊院(まんしゅいん)と称し、明治維新まで代々相承される。
豊臣(とよとみ)秀吉の尊崇はとくに厚く、1587年(天正15)10月北野大茶湯を催し、93年(文禄2)5月には征韓のことを祈請したという。現社殿は秀頼(ひでより)の寄進になるもので、1607年(慶長12)片桐且元(かたぎりかつもと)を普請奉行(ふしんぶぎょう)として本社をはじめ末社に至るまで大規模に造営された。1779年(安永8)塙保己一(はなわほきいち)が『群書類従』1000巻の完成を祈願したことは有名。旧官幣中社。8月4日の例祭(北野祭)のほか、菅公命日2月25日の梅花祭(ばいかさい)、10月1~5日の瑞饋祭(ずいきまつり)など神事は数多い。
八棟造(やつむねづくり)の本殿・拝殿(国宝)は権現造(ごんげんづくり)の最古のもので、豊国(とよくに)廟や日光東照宮はこれを模して造営された。中門(扁額(へんがく)「天満宮」は後西院(ごさいいん)天皇の宸筆(しんぴつ))、回廊、平唐門(ひらからもん)、透塀(すきべい)、東門はいずれも国の重要文化財。社宝に『北野天神縁起』(国宝)のほか、数種の縁起や太刀(たち)、絵画、経巻など国の重要文化財を蔵する。
[菟田俊彦]
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北野寺・北野聖廟・北野神社とも。京都市上京区馬喰町に鎮座。二十二社下社。旧官幣中社。祭神は菅原道真・中将殿・吉祥女。道真の託宣をうけた乳母の多治比文子(たじひのあやこ)が942年(天慶5)自宅の祠に祭り,947年(天暦元)現在地に勧請したのが創祀と伝える。959年(天徳3)社殿を建立。1004年(寛弘元)是算(ぜさん)の任命以降,別当により支配された。当初は道真の怨霊を鎮める鎮魂・雷神信仰が中心だったが,室町時代頃から文学・学問の神としての性格が強まる。中世には麹(こうじ)などの座が結ばれた。例祭は8月4日。「北野天神縁起」や1607年(慶長12)造営の本殿などは国宝。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…松,杉,ヒノキなどの常緑樹が一般的だが,神社によって特定の神木がある。有名なものに,京都の伏見稲荷大社や奈良の大神神社の験(しるし)の杉,福岡の香椎宮の綾杉,太宰府天満宮の梅,北野天満宮の一夜松(ひとよまつ),滋賀の日吉大社の桂,熊野大社,伊豆山神社の梛(なぎ),新潟の弥彦神社の椎などがある。奈良春日大社の神木(榊に神鏡を斎(いわ)いつけたもの)は中世に何度か興福寺の衆徒が春日大明神の御正体と称して担ぎ出し,朝廷に強訴(ごうそ)する手段とされた。…
…もとは菅原保と称し国衙領であった。藤原基頼が能登守在任中,住人弘行の未進を理由に私領化し,1110年(天永1)10月にその田数50町(現作20町,荒野30町)を北野天満宮へ寄進した。この北野社領化に伴い〈菅原〉と命名されたという。…
…東寺境内での毎月21日(弘法大師の命日)の弘法市は,1500の露店が並び,12月はとくに〈しまい弘法〉といわれる。北野天満宮の毎月25日(菅原道真の命日)の市も〈天神さん〉としてにぎわい,とくに1月は〈初天神〉と呼ばれる。また東京世田谷(代官屋敷跡付近)の〈ぼろ市〉も江戸時代からあり,今は12月15~16日と1月15~16日の2回開かれる。…
※「北野天満宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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