目良村(読み)もくろうむら

日本歴史地名大系 「目良村」の解説

目良村
もくろうむら

[現在地名]錦町木上(きのえ) 目郎(もくろう)

球磨川右岸、木上村より二キロほど上流にあたる。中世には永吉(ながよし)庄に属し、建久二年(一一九一)五月三日の良峯師高所領譲状案(平河文書)に「一所 同郡同庄之内目良生之村田地四十町七反三百三十石 六十貫」とある。建永二年(一二〇七)には「目良生 永池 □(城カ)」の三村は平河師忠の沙汰に付されている(同年三月一四日「某下文」永池文書)。慶長国絵図に目良村とあり、三六二石七斗余とある。寛永一一年(一六三四)の郷村高辻帳に本田高四四七石七斗余・新田畑高三一九石余とあり、同一八年の検地帳によれば分米五五三石二斗余で、上田一町一反七畝余・中田一一町三反余・下田四五町九反四畝余、上畑一反一畝・中畑七反四畝余・下畑四町五反三畝余・野畑三反余、屋敷二町三反一畝余、合計六六町四反三畝と順調な開発がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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