錦町(読み)にしきちよう

日本歴史地名大系 「錦町」の解説

錦町
にしきちよう

面積:二一〇・八〇平方キロ

北東を広島県佐伯さえき郡、北西を島根県鹿足かのあし郡に接する玖珂郡北西の町。南北に長く、全域が山地で、北部は寂地じやくじ山を中心に西中国山地国定公園の一部となっている。徳山市から北東流してきた錦川が寂地山地に発する宇佐うさ川はじめ諸川の水を合し、出合であいで流路を南東に転じ美川みかわ町に出るが、諸川のつくる小盆地や谷々に集落が散在する。町の中心広瀬ひろせまで岩国から国鉄岩日線が通じ、また岩国市と島根県益田ますだ市を結ぶ国道一八七号が町のほぼ中央を南南東から北北西に抜け、北北東広島県へは宇佐川沿いに、西南徳山市へは錦川沿いに道が通じる。

錦町
にしきまち

面積:八三・九一平方キロ

人吉盆地中央部にあり、南部は山岳部、北部を球磨川が西流し、水無みずなし川・高柱たかはしら川が北流して球磨川に注ぎ、その周辺に耕地が広がる。東は深田ふかだ村・免田めんだ町・うえ村、北は相良さがら村、西は人吉ひとよし市に接し、南の山岳地帯で宮崎県えびの市に接する。年間降水量は平均二五〇〇ミリと多く、人吉盆地特有の霧の発生も多く、寒暖の差は激しい。産業は農業が主で、稲作・果樹・メロン・藺草・煙草が作られる。最近は企業を誘致しての工業面にも力を入れている。

国指定重要文化財の桑原家住宅は、桁行一九・八メートル、梁間五・九メートル、寄棟造で茅葺

錦町
にしきまち

昭和三年(一九二八)一月に成立した現在の苫小牧市の町名。東はおもて町。町名は華やかな町に発展することを願って命名。同年に苫小牧町大字錦町が誕生し(「町名設定地番改正調書」苫小牧市立中央図書館蔵)、同一九年の大字廃止字名改称により苫小牧町錦町となった(「苫小牧町字地番整理調書」同館蔵)。同二三年市制施行により苫小牧市錦町となり、同四五年の住居表示実施で一―二丁目を設定した(住居表示新旧対照表)

錦町
にしきまち

[現在地名]小樽市錦町・稲穂いなほ五丁目・豊川町とよかわちよう

大正四年(一九一五)の小樽区の町名改正に伴い手宮裏てみやうら町より分立、錦町が成立。豊川町の南東にあり、手宮仲てみやなか川が流れる。手宮町・手宮裏町の発展に代々貢献した能島家があり、当町の一角は能島のじま通と称されている。同家は明治五年(一八七二)建築ともされる。

錦町
にしきまち

[現在地名]旭川市錦町

昭和四年(一九二九)四月に新設された町。明治三五年(一九〇二)三月までは鷹栖たかす村のうちで、同年四月旭川町に編入された旧鷹栖字近文あざちかぶみに相当する。昭和四年の字名変更により錦町一〇―二四丁目が置かれた。

錦町
にしきまち

明元あけもと町の南にある。昭和二四年(一九四九)大字留萌村の一部を区画して成立。大字留萌村字留萌・留萌原野一線るもいげんやいつせん留萌原野二線るもいげんやにせんの一部で、一丁目から四丁目まで設置。同二五年の戸口は四一二戸・二千一〇〇人(留萌市統計書)。留萌市内の中心的商店街・繁華街で、北十条きたじゆうじよう通は飲食店街を形成。

錦町
にしきちよう

[現在地名]釧路市錦町

昭和七年(一九三二)に設置された町名。もと釧路村の一部(西幣舞)。昭和七年の世帯数一八一・人口九八一(釧路郷土史考)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「錦町」の意味・わかりやすい解説

錦〔町〕
にしき

熊本県南部,人吉盆地南東部,球磨川に沿う町。 1955年一武 (いちぶ) ,西 (にし) ,木上 (きのえ) の3村が合体して錦村となり,65年町制。山林の多い町で,米作やコムギタバコ,牧草,青刈りトウモロコシを生産したが,近年はナシ,モモなどの栽培が主で,酪農と畜産も行われる。在来の製材業に加えて電子部品工業も進出。幕末の武家の住宅形態をとどめる桑原家住宅 (重要文化財) などがある。国道 219号線が通じる。面積 85.04km2。人口 1万288(2020)。

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