木上村(読み)きのえむら

日本歴史地名大系 「木上村」の解説

木上村
きのえむら

[現在地名]錦町木上

球磨川中流の両岸に開け、上流深田ふかだ(現深田村)下流一武いちぶ村に接する。現在の集落名としては、平野ひらの十日市とかいち岩城いわんじよう覚井かくい平川ひらこう荒田あらた目郎もくろうからなり、近世中期以降は目良もくろう(目郎)村を含んだ。中世には永吉ながよし庄に属し、建久二年(一一九一)五月三日の良峯師高所領譲状案(平河文書)に「一所 同郡同庄之内平野之村田地十三町二反四十七石 十二貫」「一所 同郡同庄之内目良生之村田地四十町七反三百三十石 六十貫」とある。また良峯姓先祖書(同文書)に「有智山寺建立之事」「仁平元十月十八日卯時柱立三年」「久寿元年移ル、師高建立也」とあり、平河氏の本拠地であったことがわかる。平河氏は相良氏入国前に中球磨に威を誇った土豪で、肥後国訴状写断簡(高野山文書)の「一久万郡住人貞倫并舎弟六郎重平等追掃同郡住人守高城内押取種々雑物人馬虜領彼所領田畠事」にみえる守高は平河師高だと考えられ、すでに平安末期には当地に勢力を築いていた(→永吉庄


木上村
きのうえむら

[現在地名]大分市木ノ上

口戸くちど村の西にある。同村から続く肥後街道が木上峠を越えて七瀬ななせ川を渡り、西隣の塚野つかの村に入る。永正一三年(一五一六)の朽網親満の乱後、大友氏加判衆に列した木上長秀一族の名字の地と考えられる。正保郷帳に村名がみえ田高一八一石余・畑高一八二石余、早田わさだ庄に所属。領主の変遷は宮崎みやざき村に同じで、明治二年(一八六九)の竈数八九・人数四七一(「竈数石高人別調帳」内藤家文書)天神畑てんじんばた歳神さいのかみ弁財天べんざいてん東光寺とうこうじ豊城庵ほうじようあん善山寺ぜんざんじ報恩寺ほうおんじなど寺・社に関連する字名が残る。字町通まちどおり加久羅かくら神社(旧村社)がある。字たにの熊野神社は永正三年の勧請と伝え、境内に無縁塔がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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