改訂新版 世界大百科事典 「目賀田氏」の意味・わかりやすい解説
目賀田氏 (めがたうじ)
中世の武家。本姓を藤原氏とも源氏とも称するが真偽不明。近江国愛知郡目賀田(現滋賀県愛知郡愛荘町,旧秦荘町)を本拠としてこの氏を称した。南北朝初期より代々,近江佐々木氏の有力家臣として活躍しているが,早い時期から京極氏に属するものと六角氏に属するものの2家に分かれたらしい。信職(法名玄向)は佐々木高氏(京極道誉)に属し幾多の合戦に戦功をあげた。弾正忠入道玄仙は1355年(正平10・文和4)から96年(応永3)まで守護六角氏の守護代としての活動が確認できる。玄仙の子孫遠江守(実名不詳)は室町期に入って応永年間(1394-1428)まで守護代の活動が確認でき,このころまで目賀田氏が守護六角氏の領国支配を支えた重臣であったことがうかがえる。その後,戦国期まで目賀田氏の活動は断片的に知られるが,六角氏の具体的な政務にほとんど関与しておらず,その活動は軍事的な行動が中心である。滅亡直前の六角氏の重臣層が推定できる《六角氏式目》の重臣起請文の中にもその名が見えない。
執筆者:細溝 典彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報