日本歴史地名大系 「相合井」の解説 相合井あいあいゆ 三重県:津市西郊地区中跡部村相合井安濃(あのう)川中流の鹿毛(しかも)村西方に作られた井堰から取水する灌漑用水路で、鹿毛村・中跡部(なかとべ)村・跡部(あとべ)村三ヵ村の水田を灌漑する。この井堰の下流小北井(こぎたゆ)が主として一色(いつしき)村・北河路(きたこうじ)村・納所(のうそ)村三村を灌漑するので、相合井を上三郷(かみさんごう)井、小北井を下三郷(しもさんごう)井ともいう。江戸時代しばしば水論が起こり、その関係文書が中跡部区に蔵されている。承応三年(一六五四)六月二三日の中跡部村・跡部村連署口上書によると、この井水によって灌漑される水田は、鹿毛村二〇〇石、中跡部村六四〇石、跡部村四二〇石で、二三年前寛永八年(一六三一)の水論の際、用水の分配基準を津藩郡奉行が裁定したが、上流に位置する鹿毛村が、木綿栽培の畠へ用水を使用し始めたこと、新田開発が進んだこと、沼田を二毛作田に改良しようとしたこと、そして根本的には津藩が政策上、水田面積によって用水の配分をせず、石高割を堅持して改めなかったこと、などが原因となって、鹿毛と下二ヵ村とが対立した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by