〈みずろん〉とも読む。水田稲作のための用水をめぐる紛争。用水争論ともいう。
稲作に基礎をおく社会であるかぎり,灌漑用水の確保が死活問題であることは言うまでもないが,古代の律令体制のもとでは,まだ用水をめぐる対立・紛争は問題にならない。それに対して,私的土地所有が発展し,荘園制的土地領有の成立した中世になると,用水争論も加速度的に増加していった。中世成立期以降,山野河海における多様で活発な開発の展開の一環として,大小さまざまな規模の水田開発ないし再開発が推進されたが,その結果,用水の権利関係が入り組み,対立・紛争が発生しやすくなったのである。そもそも中世における用水は,谷水や天水に依存する率も高く,中小河川からの引水や溜池に依存していたので,その用水量にはおのずから限度があった。したがって干ばつ時には,たちまち用水の枯渇に直面せざるをえなかった。そこで用水の管理・配分のために井守,井奉行,井行事,井司,池守,池奉行,池司,分水奉行,水入などの役人が置かれ,番水などの用水配分のシステムが作り上げられていったが,それでも,いったん干ばつになれば用水の確保をめぐって,村落間あるいは荘園間のきびしい対立が惹起しがちだったのである。
もとより干ばつのときだけ水論が起こるわけではない。中世水論の原因は,(1)番水の際の用水配分の順序や時間についてのトラブル,(2)灌漑用水使用料等の授受をめぐってのトラブル,(3)旧来の井堰の改修や新しい井堰を作ったため下流の井堰などに悪影響をもたらした場合,がおもなものであった。最も多かったのは(3)であり,中世の相論で〈新井〉を立てたといって問題にされているものの大部分は,他の灌漑施設に甚大な被害を与える灌漑施設の新設を行った場合なのである。
水論は,中世における相論の中で最も激しく,かつ解決困難なものであった。例えば,紀伊国の高野山領名手荘と粉河(こかわ)寺領丹生屋村の水論=境相論である。1241年(仁治2)に本格化した相論は,50年(建長2)にひとまず終結したかに見えたが,その後も何度もむし返され,断続的にだが室町時代にまで同様の争いが続いたわけである。このような長期化しがちな水論では,しばしば武力による実力行使が行われた。1460年(寛正1)の紀伊国の根来(ねごろ)寺と粉河の円福寺の間の用水相論では,戦死者が700名に達したという。また79年(文明11)の近江国の上坂・三田村両荘間の水論では,合戦によって600名の死者が出たといわれる。水論のための訴訟費用等も,長期化すればするほど巨額のものとなった。
このように中世的水論では,〈用水の事に就き弓矢合戦に及ぶ〉(《蔭涼軒日録》)とあるような武力による実力行使が不可避な性格をもっていた。それは中世社会の体質たる自力救済的な解決のしかたといえるが,豊臣政権の登場によって,そのような紛争のあり方は否定される。すなわち1592年(文禄1)の摂津国の北郷用水樋についての水論では,豊臣政権の〈喧嘩御停止〉令に背いて〈喧𠵅〉(在地における武力行使)をしたとして,83人が処刑されたのであった。明らかに,この処刑は,中世的自力救済の解体をめざす近世統一権力の姿勢・政策を象徴的に示しているといえよう。近世的な水論は,この自力救済的な紛争のしかたが原理的に否定されたところから始まる。
執筆者:黒田 日出男
中世にいう水問答,水合戦(用水争奪の実力行使)は近世に至って著しくその態様を変えた。水争いの犠牲者(死没者)についても,口碑的には事実存在したことを認めうる場合は幾つかあっても,記録に残るのははなはだまれで(処分者の出ることをおそれたからでもあろう),筆者もかつて越後で二,三の事例を発見したにとどまる。戦国大名以降の,諸領主による水の分配規定,またことに江戸初期以降の幕府・領主による法令の徹底化,仲裁・判決制度の完備化が,このような変化をもたらしたことも大きいと察せられる。
河川に水源を求めている場合,水論は大別して(1)上・下流,両岸に相対して成立しているA用水の組織対B用水の組織のいわば地域的対抗関係の結果としてのもの,(2)多くは最上流位置に取入口をもち,下流の数十ヵ村に対して圧倒的支配力をもつ1,2ヵ村に対して,下流の数十ヵ村が対立的に立ち上がる場合,(3)一つの組織(組合)をつくり同一水源で潤いながらも,村々の分水(用水取得権)規定の間に開きがあったり,また分水規定中の微妙な点の理解について両者間の見解の一致の見られなかった場合,などがある。一河川の両岸に相対して位置し,上・下流の差が多少ある場合,上流側は下流堰組のために若干の漏水があるように築造する例が多いが,干ばつ時に上流堰がむしろを張り,砂・粘土を詰めて漏水を止める場合には最も水論を生じやすい。また下流側堰が井料米支払などを条件として対岸の同一領主村に依頼し,従来の対岸の上流堰より上流部に堰の位置を移そうとする場合もある。対岸下流堰の区域が天領などであることを背景に,対岸上流堰を圧倒し,変位させる場合もある。例えば近江高時川の〈餅の井〉が対岸の〈一の井組〉の堰の上流に位置しているのは,戦国期に餅の井組(南岸)の領主浅井亮政が一の井組(北岸)の小領主の井口越前守を圧して位置を変更せしめた結果である。江戸周辺でも東叡山(寛永寺)領の村々の場合,このような例が多いことは《民間省要》も記している。
堰の形式・規模・使用材料などに関しては多年の慣習による細部の規定があり,いったんこれらの条項が破られれば直ちに水論を惹起する。川底に秘かに伏樋を設け,河表面下の流下水を隠密裏に引けば直ちに水論を生じる。また〈川浚(かわざらえ)〉の名目で,平素は河表に流水を見ない河面下を一定の深さで幾百mか上流まで掘り上り,その河表面下の流水を引用する権利の認められているような場合にも,古来定まっている距離を一方的に延長して川浚したときは,当然水論となる。河水・池水の番水制も細かく規定されている反面,A村からB村に引水の順序を切り換えるとき,そのわずかな時間に水路上を流れている(A,B両村間のいずれにも属さない)水はA村,B村いずれの権利分であるかなど,大規模な水論はほぼ消滅しても,村落間の小水論の種は尽きることがないのが実状である。
執筆者:喜多村 俊夫
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「みずろん」ともいう。個人対個人、集落(群)対集落(群)の間におこった用水や悪水をめぐる争論のこと。適度の水を必要とする稲作農業と深く関係していた。律令制(りつりょうせい)下では用水が国家の支配下に置かれ、造池造溝や築堤も国家の主導のもとに行われた。荘園(しょうえん)制下では私有化した用水をめぐって、荘園間で熾烈(しれつ)な争いが展開された。1235年(嘉禎1)の山城国(やましろのくに)薪園(たきぎのその)(石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)領)対大住庄(おおすみのしょう)(南都興福寺領)、1241年(仁治2)の紀伊国名手(なて)庄(高野山(こうやさん)領)対丹生屋(にうのや)村(粉河寺(こかわでら)領)、1418年(応永25)の山城国上久世(かみくぜ)庄(東寺(とうじ)領)対下方諸庄、などと事例は多く、朝廷も鎌倉・室町両幕府もその調停にかかわった。新規の用水施設の建造、番水、井料などその原因はさまざまであった。
近世の石高(こくだか)制下でも村落間の用水をめぐる争論は頻発したが、江戸幕府は積極的にその裁決にあたらず、近隣の村役人などに命じ仲裁させた。仲裁の条件は同時に用水慣行の成立を意味していたが、その慣行が破棄され争論が再燃したこともしばしばあった。小河川に堰(せき)を設けて用水源とした場合には、集中的な降雨によって上流域に悪水がたまり、緊急に排除する必要に迫られ、ときに用水を必要とする下流域と対立した。これが用悪水争論である。大小の河川の左右に立地する村落間でも悪水争論が激発した。道路や小堤の上下間でも対立が生じ、切流し騒動に発展した。これらの場合にも仲裁がなされ、悪水慣行が成立した。「我田引水」のみならず「我田排水」も現実に存在していたのであり、近代的な用排水施設が完備するまで、水論は繰り返された。
[大谷貞夫]
『亀田隆之著『日本古代用水史の研究』(1973・吉川弘文館)』▽『宝月圭吾著『中世灌漑史の研究』(1950・目黒書店)』▽『喜多村俊夫著『日本灌漑水利慣行の史的研究 総論篇・各論篇』(1950、73・岩波書店)』▽『大谷貞夫著『近世日本治水史の研究』(1986・雄山閣出版)』
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…内済は裁判のどの段階においても行うことができ,審理の進行中も裁判役人はつねに内済の成立に努め,内済の可能性があるうちは何度も〈日延願(ひのべねがい)〉を許す。〈論所(ろんしよ)〉(地境論=境相論,水論など)や〈金公事(かねくじ)〉(借金銀など利息付,無担保の金銭債権に関する訴訟)ではとくに強く内済が勧められ,制度的にも,用水論などでは訴状に裏書(目安裏判(めやすうらはん),目安裏書)を与える前に現地での熟談内済を命じ(場所熟談物),金公事では目安裏書に内済勧奨文言を加え,あるいは原告だけの申立てによる内済(片済口(かたすみくち))を認めるなど,特別な手続が定められていた。刑事裁判手続(吟味筋(ぎんみすじ))においても場合によって内済が許される(吟味(願)下げ)。…
※「水論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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