相羽村(読み)あいばむら

日本歴史地名大系 「相羽村」の解説

相羽村
あいばむら

[現在地名]大野町相羽

六里ろくのり村の南東、揖斐川右岸にあり、村の西を三水みみず川が流れる。中世饗庭あえば庄として推移する。慶長一四年(一六〇九)検地帳(小川文書)によれば田二二町三反余・畑一〇町九反余で、屋敷四反余となっている。慶長郷帳に「はいは村」とみえ、高四二八石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では奥平忠隆(加納藩)領。正保郷帳では大垣藩領で、田二二一石余・畑二〇七石余。元禄郷帳でも大垣藩領。明治五年(一八七二)の村明細帳によれば田一二町余・畑二三町三反余、家数五八・人数二五九、馬八、農間に酒造二・紺屋一・油絞一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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