相良庄・相良(読み)さがらのしよう・さがら

日本歴史地名大系 「相良庄・相良」の解説

相良庄・相良
さがらのしよう・さがら

現在の相良町から御前崎おまえざき町一帯に比定される。庄内には平田へいでん寺や西山さいさん寺などがある。文永二年(一二六五)二月七日の遠江国三代起請地并三社領注文案(教王護国寺文書)に「相良庄蓮華王院」とみえ、当庄は長寛二年(一一六四)白河上皇勅願によって蓮華王れんげおう(現京都市東山区)が建立されたのに伴い成立したと推測できる。「国牛十図」に「相良牧、白羽立牛、称相良牛、件庄蓮華王院領」とあり、当庄は牛牧を主体とする庄園であった。なお年未詳の中院流家領目録土代(久我家文書)にみえる「遠江国 相郎牧」は相良牧と思われ、相良牧が村上源氏中院流久我家の所領となっていた時期があったようで、その時期は相良牧が蓮華王院領の庄園になる前であったと推定される。「駿牛絵詞」の「臥猪相良牛 同大納言牛」という記述から、大納言一条公藤が当庄にかかわっていたとみられ、その子一条三位(実連)は当庄内の田地一〇〇町と屋敷一所を東海道菊河きくがわ宿(現金谷町)の接待所に寄進しており(永仁四年五月一三日「伏見天皇綸旨」平田寺文書)、一条家(のちの清水谷家)が当庄の領家であったと推測される。延文五年(一三六〇)一一月八日の宗忍避状(冷泉家古文書)によれば、「相良本新両庄領家職」三分の一の下地が一〇年間を限って冷泉為秀に与えられており、天文四年(一五三五)二月一三日に為秀の子孫為和は今川家に対し冷泉家相伝の知行地である当庄などの返還を申請している(為和集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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