朝日日本歴史人物事典 「相良長頼」の解説
相良長頼
生年:生年不詳
鎌倉時代の領主。肥後相良氏の祖。頼景の嫡子。法名蓮仏。遠江国相良荘(静岡県榛原郡)を本貫とするが,元久2(1205)年,畠山合戦の功で人吉荘の地頭職に補任され(近世の相良家史類では建久9〈1198〉年入部とするが確たる根拠はない),本主である人吉氏の権限を継承し,菩提寺として願成寺を創建するなど,人吉における相良氏発展の基礎を築いた。寛元2(1244)年,甥頼重との相論から人吉荘地頭職の半分を北条氏に奪われた。同4年,子頼俊らに人吉荘を分割譲与したほか,建長3(1251)年には,宝治3(1249)年に獲得した豊前国成恒名(福岡県)地頭職を頼俊に譲っている。<参考文献>『相良家文書』,『人吉市史』
(工藤敬一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報