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相良長頼 さがら ながより

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

相良長頼 さがら-ながより

1177-1254 鎌倉時代の武将。
治承(じしょう)元年生まれ。源頼朝につかえた。元久2年畠山合戦の功で,肥後(熊本県)人吉荘の地頭に任命され,肥後相良氏の祖となる。さらに建長元年豊前(ぶぜん)上毛郡(福岡県)成恒名(なりつねみょう)の地頭に任じられた。建長6年3月10日死去。78歳。通称は三郎。法名は蓮仏。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

相良長頼

没年:建長6.3.10(1254.3.30)
生年:生年不詳
鎌倉時代の領主。肥後相良氏の祖。頼景の嫡子。法名蓮仏。遠江国相良荘(静岡県榛原郡)を本貫とするが,元久2(1205)年,畠山合戦の功で人吉荘の地頭職に補任され(近世の相良家史類では建久9〈1198〉年入部とするが確たる根拠はない),本主である人吉氏の権限を継承し,菩提寺として願成寺を創建するなど,人吉における相良氏発展の基礎を築いた。寛元2(1244)年,甥頼重との相論から人吉荘地頭職の半分を北条氏に奪われた。同4年,子頼俊らに人吉荘を分割譲与したほか,建長3(1251)年には,宝治3(1249)年に獲得した豊前国成恒名(福岡県)地頭職を頼俊に譲っている。<参考文献>『相良家文書』,『人吉市史』

(工藤敬一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の相良長頼の言及

【相良氏】より

…遠江出身の中・近世武家。鎌倉時代,肥後国人吉荘等の地頭となる。近世には人吉藩主。藤原南家乙麻呂流で,伊豆の豪族伊東氏や工藤氏と同族。平安後期周頼が遠江国佐野郡相良荘(現,静岡県榛原郡相良町)に住し,以来相良氏を称するにいたったという。周頼4代の孫頼景およびその子長頼は関東御家人となり源頼朝に仕えた。頼景は1193年(建久4)肥後国球磨郡多良木荘の地頭として下向したと伝えられる。一方長頼(蓮仏)は98年,平頼盛の代官矢瀬主馬助を退けて,球磨郡人吉荘に入ったというが,いずれも確証はない。…

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