相良長頼(読み)さがら ながより

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相良長頼」の解説

相良長頼 さがら-ながより

1177-1254 鎌倉時代武将
治承(じしょう)元年生まれ。源頼朝につかえた。元久2年畠山合戦の功で,肥後(熊本県)人吉荘地頭に任命され,肥後相良氏の祖となる。さらに建長元年豊前(ぶぜん)上毛郡(福岡県)成恒名(なりつねみょう)の地頭に任じられた。建長6年3月10日死去。78歳。通称三郎。法名は蓮仏。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の相良長頼の言及

【相良氏】より

…遠江出身の中・近世武家。鎌倉時代,肥後国人吉荘等の地頭となる。近世には人吉藩主。藤原南家乙麻呂流で,伊豆の豪族伊東氏や工藤氏と同族。平安後期周頼が遠江国佐野郡相良荘(現,静岡県榛原郡相良町)に住し,以来相良氏を称するにいたったという。周頼4代の孫頼景およびその子長頼は関東御家人となり源頼朝に仕えた。頼景は1193年(建久4)肥後国球磨郡多良木荘の地頭として下向したと伝えられる。一方長頼(蓮仏)は98年,平頼盛の代官矢瀬主馬助を退けて,球磨郡人吉荘に入ったというが,いずれも確証はない。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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