真崎堰(読み)まさきぜき

日本歴史地名大系 「真崎堰」の解説

真崎堰
まさきぜき

馬場目ばばめ川中流左岸の馬場目帝釈寺たいしやくじで取水し、館越たてごしを経て樋口とよぐちへ通ずる。樋口から今戸いまど北川尻きたかわしり浜井川はまいかわ(現井川町)方面へ注ぐとともに、分水して西野にしの谷地中やちなか石崎いしざき方面、大川おおかわ方面へ通ずる。

元和元年(一六一五)樋口(上樋口)村に知行地をもつ真崎長右衛門季富は、肝煎猿田五兵衛の注進により、同村地内の新開を藩に願い出、翌二年差紙を得た(「真崎氏家譜」八郎潟の研究)。翌三年、馬場目村の支郷大釈寺たいしやくじ村を取水口とする「第釈寺堰」の開削着工、四年に完成(同書)。同八年には西野村谷地中村石崎村大川村・今戸村・北川尻村・浜井川村など水下八ヵ村の新開差紙を得て、堰を延長し、馬場目川左岸から井川流域にわたる真崎堰が貫通することとなった(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報