谷地中村(読み)やちなかむら

日本歴史地名大系 「谷地中村」の解説

谷地中村
やちなかむら

[現在地名]五城目町大川谷地中おおかわやちなか

馬場目ばばめ川下流左岸の沖積低平地の小集落。北は西野にしの村、南は北川尻きたかわしり村支郷海老沢えびさわ(現井川町)、東は上樋口かみとよぐち村、西は石崎いしざき村に接する。

天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「弐百六拾九石七斗六升三合 石崎村 屋ち中村」とある。

梅津政景日記」寛永九年(一六三二)八月二八日条に「小場小伝次より被上候代官所之内(中略)西野・漆原・やち中・白水沢 真崎七兵衛ニ渡、何も少郷也」と記される。


谷地中村
やちなかむら

[現在地名]比内町谷地中

大館盆地の南端部、糸柄おがら沢・引欠ひかけ川の交点に近く、その西側段丘上に立地する。慶長二年(一五九七)の浅利頼平領内村数覚書(秋田家文書)にみえる「屋中村 田 家三」が当村に比定される。慶長六年の秋田実季侍分限(秋田家文書)には「御知行方之事 佐藤与三郎 八拾三石九斗 谷地中村」とある。糸柄沢東流域の水田中に中世の館跡が現存、段丘上にも小字茶臼館ちやうすだてが残る。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図では新田として五四九石とあるが、享保一四年(一七二九)の秋田郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)に「正保元禄誤而新田出」とある。享保一五年には戸数四五で、枝郷とその戸数は大蒔おおまき一六、弥助やすけ九、羽那谷地はなやち二、一渡いちのわたり四、杉山すぎやま三、ほかに「狼沢銀山四十年以前山、廿八年以前に山潰候て人民なし」「羽那谷地銅山右同断」と二廃鉱の記載がある(六郡郡邑記)


谷地中村
やちなかむら

[現在地名]男鹿市五里合神谷いりあいかみや 谷地やち

男鹿半島の北頸部、五里合盆地北側の小丘陵の南斜面に位置する。丘陵から縄文後期の土器片が採集される。東は中石ちゆういし村、南は石神いしがみ村、丘陵の北は日本海。

天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「はこい村 屋ち村」合わせて五二八石五斗二升三合とある。正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に谷地中村四〇石と記される。享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)には高一〇二石余とあるが免率が三ツ八分から二ツ八分ときわめて低く、当高六三石四斗八升二合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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