朝日日本歴史人物事典 「真田幸弘」の解説
真田幸弘
生年:元文5(1740)
江戸中期,信州松代藩第6代藩主。幼名を豊松,長じて幸豊,のち幸弘と改める。伊豆守を称す。5代藩主信安の子で松代に生まれる。当時,藩財政の極度の窮乏から藩政は混乱していたが,そのさなかの宝暦2(1752)年に藩主信安は死去し,幸弘は13歳の若さで藩主となった。同5年に従五位下伊豆守に叙任し,翌6年6月に初めて松代に入部し,恩田木工民親を抜擢して藩政改革を行った。天明3(1783)年には従四位下に。その後,寛政10(1798)年に隠居し,文化12(1815)年に76歳の長寿を全うして江戸南部坂の屋敷に没した。藩主としてあること47年,治政よく行われて松代藩中興の名君と称せられている。墓は松代長国寺。
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報