真田幸弘(読み)さなだ・ゆきひろ

朝日日本歴史人物事典 「真田幸弘」の解説

真田幸弘

没年:文化12.8.3(1815.9.5)
生年:元文5(1740)
江戸中期,信州松代藩第6代藩主。幼名を豊松,長じて幸豊,のち幸弘と改める。伊豆守を称す。5代藩主信安の子で松代に生まれる。当時,藩財政の極度の窮乏から藩政は混乱していたが,そのさなかの宝暦2(1752)年に藩主信安は死去し,幸弘は13歳の若さで藩主となった。同5年に従五位下伊豆守に叙任し,翌6年6月に初めて松代に入部し,恩田木工民親を抜擢して藩政改革を行った。天明3(1783)年には従四位下に。その後,寛政10(1798)年に隠居し,文化12(1815)年に76歳の長寿を全うして江戸南部坂の屋敷に没した。藩主としてあること47年,治政よく行われて松代藩中興の名君と称せられている。墓は松代長国寺。

(笠谷和比古)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真田幸弘」の解説

真田幸弘 さなだ-ゆきひろ

1740-1815 江戸時代中期-後期大名
元文5年1月21日生まれ。真田信安長男。宝暦2年信濃(しなの)(長野県)松代(まつしろ)藩主真田家6代となる。恩田木工(もく)を起用して藩財政の改革につとめた。俳諧,書にすぐれた。文化12年8月3日死去。76歳。初名は幸豊。俳名は菊貫(きくつら)など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「真田幸弘」の解説

真田幸弘 (さなだゆきひろ)

生年月日:1740年1月21日
江戸時代中期;後期の大名
1815年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android