市川団蔵(読み)イチカワダンゾウ

デジタル大辞泉 「市川団蔵」の意味・読み・例文・類語

いちかわ‐だんぞう〔いちかはダンザウ〕【市川団蔵】

歌舞伎俳優。屋号、三河屋
(初世)[1684~1740]初世市川団十郎門弟で、荒事あらごと敵役かたきやくの名優。
(4世)[1745~1808]京都の人。3世の養子早変わりで有名。
(7世)[1836~1911]6世の養子。7世団十郎の門弟。非凡な芸を持ち、明治を代表する名優の一人とされる。

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精選版 日本国語大辞典 「市川団蔵」の意味・読み・例文・類語

いちかわ‐だんぞう【市川団蔵】

  1. 歌舞伎俳優。屋号三河屋。代々の俳名は市紅。
  2. [ 一 ] 初世。三河の人。初世市川団十郎の門弟。荒事、敵役を得意とした。貞享元~元文五年(一六八四‐一七四〇
  3. [ 二 ] 四世。京都の人。三世の門弟。東西を往来した寛政期(一七八九‐一八〇一)の名優。「差し出し」の演出法を創始した。俗に「目黒の団蔵」といわれた。延享二~文化五年(一七四五‐一八〇八
  4. [ 三 ] 五世。四世の養子。誇張をきらった質実な芸風で、俗に「渋団」といわれた。天明八~弘化二年(一七八八‐一八四五
  5. [ 四 ] 七世。六世の養子。九世団十郎に劣らない芸で、団十郎、菊五郎にもまさる人気を得ていた。団蔵型を創始。天保七~明治四四年(一八三六‐一九一一

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改訂新版 世界大百科事典 「市川団蔵」の意味・わかりやすい解説

市川団蔵 (いちかわだんぞう)

歌舞伎俳優。(1)初世(1684-1740・貞享1-元文5) 初名市川段之助。前名初世市川団之助。俳名市紅(江)。屋号三河屋。初世松本四郎三郎の子。初世市川団十郎門。1698年(元禄11)3月,団蔵と改名。上品で嫌味がなく,堅実な芸風の持主で,実事・荒事・敵役に長じ,よく師の芸を継承した。(2)2世(?-1740(元文5)) 初名市川市三郎。前名2世市川団三郎。初世の次男とも,また,初世の弟で,養子になったともいう。1740年7月襲名。伝記には不明な点が多い。(3)3世(1709-72・宝永6-安永1) 幼名松太郎(松三郎)。初名坂東次郎三郎。前名市川次郎三,3世市川団三郎。俳名市紅。屋号三河屋。森田座手代又兵衛の子で,狂言作者坂東田助の養子。初め坂東又九郎に師事。のち初世の門に転じ,さらに養子となり,40年11月団蔵を襲名。武道・実事(じつごと)を良くした。(4)4世(1745-1808・延享2-文化5) 幼名虎蔵。初名亀谷虎蔵。前名中村虎蔵,初世市川友蔵,4世市川団三郎。俳名二紅,市紅。屋号三河屋。通称友蔵団蔵,目黒の団蔵。上方の子供芝居の出身で,初世中村富十郎に入門。のち3世の弟子,また,養子となった。73年(安永2)11月襲名。武道事・実事・所作事に長じ,小柄ではあったが器用で,早替りや立回りを得意として,《忠臣蔵》の七役早替りなど,演出にさまざまな工夫をこらした。(5)5世(1788-1845・天明8-弘化2) 初名市川森之助。前名5世市川団三郎,市川市紅。俳名千升,紅山,市紅。屋号三河屋。通称渋団。4世の高弟市川市蔵の門に入ったが,のち4世の養子となり,1819年(文政2)4月襲名。小兵ながら,和事・武道・実事・所作事と幅広く活躍し,さらりとした質実な芸風で,場当りを嫌った。(6)6世(1800-71・寛政12-明治4) 幼名照世。初名市川三蔵。前名初世市川茂々太郎,初世市川白蔵,2世市川九蔵。俳名三猿,団猿,市紅庵,松秀舎。屋号三芳屋,三河屋。4世の門弟初世市川荒五郎の子。7世市川団十郎門。5世の養子となり,52年(嘉永5)10月襲名。立役・女方・所作事を兼ねる上手であったが,場当りを嫌い,あまりにも淡泊な芸風の持主であったため,実力ほどにはもてはやされなかった。(7)7世(1836-1911・天保7-明治44) 本名市川九蔵。幼名銀蔵。初名初世市川銀蔵。前名2世市川茂々太郎,2世市川白蔵,3世市川九蔵。俳名寿猿,三猿,市紅。屋号三河屋。料理人芦沢伊三郎の子。6世の養子となり,7世市川団十郎に入門。のち4世市川小団次の薫陶を受けた。97年6月襲名。時代・世話のいずれもよく,実事と敵役を得意とした。名優であったが,性狷介,中央に入れられず,不遇な一生を送った。(8)8世(1882-1966・明治15-昭和41) 本名市川銀蔵。初名2世市川銀蔵。前名4世市川茂々太郎,4世市川九蔵。俳名寿猿,三猿,市紅。屋号三河屋。7世の次男。1943年10月襲名。貴重な脇役であった。引退直後入水。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「市川団蔵」の意味・わかりやすい解説

市川団蔵
いちかわだんぞう

歌舞伎(かぶき)俳優。屋号三河屋(みかわや)。初世市川団十郎の門下で、荒事(あらごと)、敵役(かたきやく)を得意とした初世(1684―1740)から9世まで継承されるが、4世、5世、7世が有名。代々江戸風でも上方(かみがた)風でもない傍流の演出を歌舞伎史上に残した異能俳優の系譜をなす。

[古井戸秀夫]

4世

(1745―1808)初世の養子である3世の門弟。のち3世の養子となり、1773年(安永2)襲名。江戸と大坂を往来して活躍し、当時の常識であった1年契約の方式をとらず、一興行ずつの魅力的な舞台を展開した。思い入れたっぷりの大時代な演技をみせる一方、立回りやとんぼ返り、早替りといった見た目本位の演出をし、江戸、大坂の本流にない旅芝居式の型を残した。

[古井戸秀夫]

5世

(1788―1845)4世の養子。1819年(文政2)襲名。3世歌右衛門(うたえもん)とともに、大坂の役者として江戸でも活躍し、新演出を残した。はで好みの時代に、見物に背を向けて台詞(せりふ)をいうような渋がり屋で、「渋団(しぶだん)」とよばれた。

[古井戸秀夫]

7世

(1836―1911)6世の養子。本名芦沢(あしざわ)銀蔵、8世団十郎の弟子だったが、市川九蔵(くぞう)を名のった青年時代、4世小団次(こだんじ)の薫陶(くんとう)を受ける。のち9世団十郎と不和になり、1887年(明治20)大劇場を追われ、小芝居に出勤したが、95年に和解して復帰、97年襲名。当り役に仁木弾正(にっきだんじょう)、武智(たけち)光秀、高師直(こうのもろなお)、佐倉宗吾(そうご)などがあり、いわゆる団蔵型を残す。

[古井戸秀夫]

8世

(1882―1966)7世の次男。1943年(昭和18)襲名。中村吉右衛門(きちえもん)劇団の脇役(わきやく)を勤めたが、66年(昭和41)に引退興行を行い、同年四国巡礼のすえに入水(じゅすい)自殺した。

[古井戸秀夫]

9世

(1951― )8世の孫銀之介が1987年(昭和62)に襲名。

[古井戸秀夫]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「市川団蔵」の解説

市川 団蔵(7代目)
イチカワ ダンゾウ


職業
歌舞伎俳優

本名
後藤 銀蔵

別名
初名=市川 銀蔵,前名=市川 茂々太郎(2代目),市川 白蔵(2代目)(イチカワ ハクゾウ),市川 九蔵(3代目)(イチカワ クゾウ),俳名=三猿,市紅

屋号
三芳屋,三好屋,三河屋

生年月日
天保7年 3月20日

出生地
江戸・霊岸島(東京都 中央区)

経歴
江戸料理人の子に生まれる。6代目団蔵の養子となり、弘化元年に7代目市川団十郎に入門。白蔵と名乗り、のち3代目九蔵と改名。文久元年の「桜荘子後日文談」に百姓十作の役で好演、出世作として知られる。その後も多くの舞台に出演したが、片意地な性格から中央劇壇にいれられず不遇な立場におかれたこともあった。明治30年7代目団蔵を襲名。時代物、世話物にすぐれていた。

没年月日
明治44年 9月11日 (1911年)

家族
養父=市川 団蔵(6代目)

伝記
歌舞伎百年百話 上村 以和於 著(発行元 河出書房新社 ’07発行)


市川 団蔵(8代目)
イチカワ ダンゾウ


職業
歌舞伎俳優

本名
市川 銀蔵

別名
前名=市川 茂々太郎,市川 九蔵(4代目)

屋号
三河屋

生年月日
明治15年 5月15日

出生地
東京・日本橋久松町

経歴
明治18年本名で初舞台。29年市川茂々太郎、41年4代目市川九蔵、昭和18年亡父の33回忌追善に8代目団蔵を襲名した。初代中村吉右衛門劇団の客分で老け役を演じたが、41年「菊畑」の鬼一、「助六」の意休を引退披露とし、間もなく独り四国遍路の旅に出て、瀬戸内海の船中で消息を絶つ。著書に「七世市川団蔵」がある。

没年月日
昭和41年 6月4日 (1966年)

家族
父=市川 団蔵(7代目)

伝記
老人の美しい死について三島由紀夫文学論集〈3〉虫明亜呂無編 朝倉 喬司 著三島 由紀夫 著(発行元 作品社講談社 ’09’06発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「市川団蔵」の解説

市川 団蔵(8代目)
イチカワ ダンゾウ

明治〜昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治15(1882)年5月15日

没年
昭和41(1966)年6月4日

出生地
東京・日本橋久松町

本名
市川 銀蔵

別名
前名=市川 茂々太郎,市川 九蔵(4代目)

屋号
三河屋

経歴
明治18年本名で初舞台。29年市川茂々太郎、41年4代目市川九蔵、昭和18年亡父の33回忌追善に8代目団蔵を襲名した。初代中村吉右衛門劇団の客分で老け役を演じたが、41年「菊畑」の鬼一、「助六」の意休を引退披露とし、間もなく独り四国遍路の旅に出て、瀬戸内海の船中で消息を絶つ。著書に「七世市川団蔵」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「市川団蔵」の解説

市川団蔵(4代)

没年:文化5.10.9(1808.11.26)
生年:延享2(1745)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名の市紅,屋号の三河屋は初代以来受け継いでいる。京都出身。大坂の中芝居で修業したのち,宝暦13(1763)年には初代中村富十郎の門人となったが,明和5(1768)年江戸へ下り3代目団蔵に入門した。安永1(1772)年に師が没したのちに芸養子となり,翌2年に団蔵を襲名。以後,江戸で活躍したが,天明3(1783)年以降は,もっぱら上方や地方での興行に出勤,大坂での興行中に64歳で没した。宙返りや,何役もの早替わりを得意とする器用な役者として重宝がられた。代表的なものに「仮名手本忠臣蔵」の7役早替わりがある。その一代記『市河の流れ』(1809)が出版されている。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』

(池山晃)


市川団蔵(7代)

没年:明治44.9.12(1911)
生年:天保7.3.20(1836.5.5)
幕末明治期の歌舞伎役者。俳名三猿。本名後藤銀蔵。江戸霊岸島生まれ。3歳で6代目団蔵の養子となり,茂々太郎を名乗り初舞台。その後7代目市川団十郎に入門,また4代目市川小団次の薫陶を受け,3代目市川九蔵を経て,明治30(1897)年団蔵を襲名。幕末期の歌舞伎芸を正しく継承し,古怪な陰翳と渋い芸風を特色とした。明治初年から技倆を高く評価されながら,片意地な性格から長く小芝居や地方を回り,傍流扱いされていたが,最晩年に東京の歌舞伎座や帝国劇場に迎えられ,最後の光芒を放った。団蔵の名跡は,昭和62(1987)年に8代目の孫・銀之助が襲名した9代目におよぶ。<参考文献>市川九蔵(8代目団蔵)『七世市川団蔵』

(石橋健一郎)


市川団蔵(初代)

没年:元文5.4.5(1740.4.30)
生年:貞享1(1684)
元禄期の歌舞伎役者。俳名市紅。三河(愛知県)出身で屋号は三河屋。立役松本四郎三郎の子。初代市川団十郎の門人となり,市川団之助の名で元禄6(1693)年ごろから活動を始める。11年に団蔵と改名,宝永5(1708)年には元服し,それまでの若衆形から立役に転じる。以後,敵役や団十郎譲りの荒事(例えば景清)などを得意芸として,江戸で活躍した。正徳5(1715)年,2代目市川団十郎と不和になり,17年後に和解するまで団十郎一門の紋である三升に一文字を引いて自分の紋とした。2代目(初代の次男)は父と同年に早世,3代目は初代の養子。<参考文献>伊原敏郎『日本演劇史』

(池山晃)


市川団蔵(5代)

没年:弘化2.6.6(1845.7.10)
生年:天明8(1788)
江戸後期の歌舞伎役者。初代市川鰕十郎の門人であったが,4代目団蔵の養子となり,主に上方で修業した。江戸出勤中の文化5(1808)年に養父を失ってのちは大坂の中芝居での活躍が続き,文政2(1819)年にようやく5代目団蔵を襲名,以後上方および江戸で活躍した。特に天保10(1839)年ごろからは,7代目片岡仁左衛門,3代目中村歌右衛門など大立者を次々に失った上方歌舞伎界において,数少ない座頭格の役者として奮戦した。その堅実な芸風から通称「渋団」。なお,6代目団蔵は5代目の没後に養子となった人で,初代,2代の当たり役のなかから「古劇八種」を制定している。

(池山晃)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「市川団蔵」の解説

市川団蔵(8代) いちかわ-だんぞう

1882-1966 明治-昭和時代の歌舞伎役者。
明治15年5月15日生まれ。7代市川団蔵の次男。初代中村吉右衛門一座でながく脇役,老役(ふけやく)をつとめ,昭和18年8代を襲名。引退後の昭和41年6月4日瀬戸内海で入水自殺した。84歳。東京出身。本名は市川銀蔵。初名は市川銀蔵(2代)。前名は市川茂々太郎(3代),九蔵(4代)。俳名は寿猿,三猿。屋号は三河屋。
【格言など】我死なば香典受けな通夜もせず迷惑かけずさらば地獄へ(辞世)

市川団蔵(6代) いちかわ-だんぞう

1800-1871 江戸後期-明治時代の歌舞伎役者。
寛政12年生まれ。初代市川荒五郎の子。7代市川団十郎に入門。立役(たちやく)と女方をかね,江戸と上方を往復しつつ名をたかめる。5代団蔵の養子となり,嘉永(かえい)5年6代を襲名。晩年は脇役と老役(ふけやく)に転じた。明治4年10月22日死去。72歳。江戸出身。初名は市川三蔵。前名は市川茂々太郎(初代),白蔵,九蔵(2代)。俳名は三猿,団猿。屋号は三芳屋,三河屋。

市川団蔵(7代) いちかわ-だんぞう

1836-1911 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
天保(てんぽう)7年3月20日生まれ。江戸の料理人の子。6代団蔵の養子となり,大坂で7代市川団十郎に入門。4代市川小団次の薫陶もうける。明治30年7代団蔵を襲名。実事(じつごと)と敵役を得意とし,現在の団蔵型をつくった。明治44年9月11日死去。76歳。初名は市川茂々太郎(2代)。前名は市川白蔵(2代),九蔵(3代)。俳名は三猿,市紅。屋号は三河屋。

市川団蔵(3代) いちかわ-だんぞう

1719-1772 江戸時代中期の歌舞伎役者。
享保(きょうほう)4年生まれ。江戸森田座の手代の子。2代坂東又九郎,初代市川団蔵に師事。元文4年団蔵の養子となる。5年2代団蔵の早世により3代を襲名。武道事と荒事(あらごと)を得意とした。明和9年6月24日死去。54歳。一説に宝永6年(1709)生まれ,享年64歳とも。初名は坂東次郎三郎。前名は市川団三郎(2代)。俳名は市紅。屋号は三河屋。

市川団蔵(4代) いちかわ-だんぞう

1745-1808 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
延享2年生まれ。初代中村富十郎に入門。江戸へでて3代市川団蔵の弟子となり,師の没後に養子となって安永2年4代を襲名。武道事を中心に早変わりや宙返りを得意とし,江戸,上方で人気があった。文化5年10月9日死去。64歳。京都出身。初名は亀谷虎蔵。前名は市川友蔵,市川団三郎(3代)。俳名は市紅。屋号は三河屋。

市川団蔵(初代) いちかわ-だんぞう

1684-1740 江戸時代前期-中期の歌舞伎役者。
貞享(じょうきょう)元年生まれ。松本四郎三郎の子。初代市川団十郎に入門し,市川団之助をへて元禄(げんろく)11年団蔵を名のる。若衆方,のち立役(たちやく)となり,荒事(あらごと),敵役を得意とした。元文5年4月5日死去。57歳。三河(愛知県)出身。俳名は市紅。屋号は三河屋。

市川団蔵(5代) いちかわ-だんぞう

1788-1845 江戸時代後期の歌舞伎役者。
天明8年9月生まれ。初代市川市蔵に入門。のち4代団蔵の養子となり,4代市川団三郎をへて文政2年5代団蔵を襲名。江戸と上方で活躍。地味な芸風で,渋団(しぶだん)とよばれた。弘化(こうか)2年6月6日死去。58歳。大坂出身。初名は市川森之助。俳名は千升,紅山,市紅。屋号は三河屋。

市川団蔵(2代) いちかわ-だんぞう

1710-1740 江戸時代中期の歌舞伎役者。
宝永7年生まれ。初代市川団蔵の次男とも,初代の弟で養子ともいう。旅芝居に出,元文5年父団蔵の死去で江戸にもどり2代を襲名したが,同年10月20日死去。31歳。一説に延享3年(1746)6月9日,31歳で死去とも。初名は市川市三郎。俳名は市紅。屋号は三河屋。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「市川団蔵」の意味・わかりやすい解説

市川団蔵(3世)
いちかわだんぞう[さんせい]

[生]宝永6(1709)
[没]安永1(1772)
歌舞伎俳優。屋号三河屋。森田座 (→守田座 ) の手代の子で,狂言作者坂東田助の養子。のちに1世団蔵の養子となり,元文5 (1740) 年3世を襲名。多く京坂にあって2世市川団十郎に似た芸風で,武道,荒事を得意とした。

市川団蔵(4世)
いちかわだんぞう[よんせい]

[生]延享2(1745)
[没]文化5(1808)
歌舞伎俳優。屋号三河屋。通称目黒の団蔵。3世市川団蔵の門弟で寛政期 (1789~1801) の代表的俳優。安永2 (1773) 年4世を襲名。小柄で宙返りや立回り,早替りを得意とし,また写実的演出にも特色があった。

市川団蔵(5世)
いちかわだんぞう[ごせい]

[生]天明8(1788)
[没]弘化2(1845)
歌舞伎俳優。屋号三河屋。4世市川団蔵の養子。4世市川団三郎,市川市紅を経て,文政2 (1819) 年5世を襲名。芸域が広く,かつ技芸にすぐれ,写実的な芸風で新演出を試み,俗に渋団と呼ばれた。

市川団蔵(7世)
いちかわだんぞう[ななせい]

[生]天保7(1836)
[没]1911
歌舞伎俳優。屋号三河屋。6世市川団蔵の養子。技芸的には9世市川団十郎と並ぶ名優であったが,中央劇壇にいれられず不遇な生涯をおくった。実事と敵役が得意。

市川団蔵(8世)
いちかわだんぞう[はっせい]

[生]1882
[没]1966
歌舞伎俳優。屋号三河屋。7世市川団蔵の子。 1943年8世を襲名。地味な芸風で脇役,老役に終始した。隠退後,四国遍路の途中入水。

市川団蔵(9世)
いちかわだんぞう[きゅうせい]

[生]1946.5.29.
歌舞伎俳優。屋号三河屋。8世市川団蔵の孫。本名和雄。祖父の没後,市川銀之助より襲名。中堅の立役で,舞踊柏木流の家元を兼ねる。

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367日誕生日大事典 「市川団蔵」の解説

市川 団蔵(8代目) (いちかわ だんぞう)

生年月日:1882年5月15日
明治時代-昭和時代の歌舞伎役者
1966年没

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世界大百科事典(旧版)内の市川団蔵の言及

【歌舞伎】より

…それは演技・演出の写実的傾向である。中村仲蔵,4世市川団蔵,5世松本幸四郎らによって,動作・風俗に〈正写し(しよううつし)〉すなわち写生的な物真似の芸を尊ぶ風が流行し始め,次の文化・文政期に〈生世話(きぜわ)〉の演技様式として展開を示す基になった。江戸の文化全般が,〈天明調〉からしだいに移り変わろうとしていた。…

【双面】より

…1775年(安永4)1月江戸中村座上演《色模様青柳曾我》の二番目大切《垣衣恋写絵(しのぶぐさこいのうつしえ)》が原曲で,初世中村仲蔵が主役の大日坊を踊った。このとき同座した4世市川団蔵が1784年(天明4)5月大坂藤川菊松座(角の芝居)で《隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)》の法界坊に主役を変えて上演。さらに1798年(寛政10)9月江戸森田座で,二番目《振袖隅田川》の大切に増補再演。…

【時桔梗出世請状】より

…南北作品としては一方に片寄ってしまったといえる。明治期,9世市川団十郎は陽性で逞しい反逆児の型を,7世市川団蔵は陰性で執念の反逆児の型を残した。【広末 保】。…

※「市川団蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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