日本歴史地名大系 「真能寺村」の解説 真能寺村しんのうじむら 埼玉県:飯能市真能寺村[現在地名]飯能市仲町(なかまち)・原町(はらまち)・本町(ほんちよう)・八幡町(はちまんちよう)飯能村の東に位置し、北東は中山(なかやま)村に続く。年代は不詳だが中山村から分村したと伝える(風土記稿)。心応寺(しんのうじ)村とも書き(慶安二年「広渡寺住持書状」双木家文書)、これは寺院心応寺があることによる。田園簿には真能寺村とみえ、高は田方七石余・畑方八三石余、幕府領。国立史料館本元禄郷帳でも幕府領。宝永四年(一七〇七)以後の領主の変遷は飯能村に同じ。加治(かじ)領に属した(風土記稿)。明和四年(一七六七)の村明細帳(双木家文書)によると寛文八年(一六六八)に検地があり、田方は高二石余・反別二反余、畑方は高一二八石余・反別一二町四反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by