矢下村
やおろしむら
[現在地名]嬉野町矢下
中村川沿いの山間部に位置し、南で岩倉川が中村川に合流する。宮野村の南西上流域にあたる。小字名に大垣内・西垣内・中垣内や沓掛新田があり、中世から近世にかけての開発がうかがわれる。当村はじめ小川(現上小川)・小原・岩倉・合ヶ野・滝ノ川・島田、柚原・後山・飯福田・与原(現松阪市)の一一ヵ村をさして、矢下谷ともよんだ(三国地志)。文禄検地帳(徳川林政史蔵)に分米一八五・五三石とあり、山年貢八・二石があった。江戸時代は津藩領。
矢下村
やじたむら
[現在地名]東伯町矢下
馬場村の南西に位置する。拝領高は二〇四石余。竹運上銀三五匁を課されていた(藩史)。幕末の六郡郷村生高竈付によれば生高一九二石余、竈数二八。元治二年(一八六五)の八橋郡村々余業取調帳(河本家文書)では家数二八、うち余業一〇(木挽四・農業日雇二など)。産土神は宮内村の春日大明神。村内にあった牛頭天王(現在は宮場の春日神社に合祀)は明治六年(一八七三)上埜神社と改称した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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