矢吹新田村(読み)やぶきしんでんむら

日本歴史地名大系 「矢吹新田村」の解説

矢吹新田村
やぶきしんでんむら

[現在地名]矢吹町北町きたまち

矢吹村の北に続き、隈戸くまど川の東側一帯で、北西久来石きゆうらいし(現鏡石町)、北は笠石かさいし(現同上)。石川郡に属する。寛永一〇年(一六三三)白河藩主丹羽長重の代に矢吹村会田惣左衛門の次男太郎左衛門が大池下おおいけした谷地やじ荒野を開発し、太郎左衛門は目付役年寄庄屋を申付けられ矢吹新田村が生れたという(会田家文書)。「白河風土記」によれば、その後貞享―宝永年間(一六八四―一七一一)に高一六石余を開き、新田高が一〇二石余となった功により、太郎左衛門が庄屋となったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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