矢問村
やとうむら
[現在地名]川西市矢問一―三丁目・矢問東町・西多田二丁目・萩原台東・萩原三丁目・錦松台・鶯台一―二丁目・鶯の森町・滝山町・新田一―二丁目・多田院一丁目・鶯台・鶯が丘
西多田村の東に位置する。「摂陽群談」に「此所、満仲公白羽の矢を以て、山神を鎮祭り給ふ。其矢の鳴落を以て地名とする」という所伝がある。江戸時代初期までは山問とよばれていた。慶長国絵図に「山問村」とあり、高二三九石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳では「山田村」、正保郷帳では山問村とし、天和三年(一六八三)頃の摂津国御料私領村高帳では山問とも矢問ともいうと記す。天保郷帳では矢問村。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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