矢尾喜三郎(読み)ヤオ キサブロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「矢尾喜三郎」の解説

矢尾 喜三郎
ヤオ キサブロウ


肩書
元・衆院議員

生年月日
明治34年9月28日

出身地
滋賀県大津市

学歴
立命館大学法科〔昭和2年〕卒

経歴
卒業後ただちに社会民衆党滋賀支部結成に参加。滋賀紡績労働組合など滋賀県下で多く争議を指導する。昭和6年社会民衆党から大津市議となり、やがて国家社会主義にかたむいて日本国家社会党、愛国労働農民同志会などの役員歴任。戦後社会党に入党し、21年衆院議員選に当選し、9期務めた。

没年月日
昭和50年6月21日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「矢尾喜三郎」の解説

矢尾 喜三郎
ヤオ キサブロウ

昭和期の労働運動家 元・衆院議員。



生年
明治34(1901)年9月28日

没年
昭和50(1975)年6月21日

出身地
滋賀県大津市

学歴〔年〕
立命館大学法科〔昭和2年〕卒

経歴
卒業後ただちに社会民衆党滋賀支部結成に参加。滋賀紡績労働組合など滋賀県下で多くの争議を指導する。昭和6年社会民衆党から大津市議となり、やがて国家社会主義にかたむいて日本国家社会党、愛国労働農民同志会などの役員を歴任。戦後社会党に入党し、21年衆院議員選に当選し、9期務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢尾喜三郎」の解説

矢尾喜三郎 やお-きさぶろう

1901-1975 昭和時代の労働運動家,政治家
明治34年9月28日生まれ。昭和2年社会民衆党滋賀支部や滋賀紡績労組の活動にくわわり,5年日本労働総同盟日本人絹労組滋賀地方協議会議長,6年社会民衆党県連書記長。満州事変後は国家社会主義に転じた。21年衆議院議員(当選9回,社会党)。昭和50年6月21日死去。73歳。滋賀県出身。立命館大卒。

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