矢崎城跡(読み)やざきじようあと

日本歴史地名大系 「矢崎城跡」の解説

矢崎城跡
やざきじようあと

[現在地名]三角町郡浦 矢崎

矢崎集落の南西側の丘陵地にある中世城館跡。「古城考」に「矢崎古城、平山城、曲輪三百五拾間、右之古城ヨリ郡浦村ヘ三町、郡浦村ヨリ往還之宿、同郡段原町迄四里拾町」とみえる。また「国誌」に船津ふなづ海辺矢崎にあり、文明―明応(一四六九―一五〇一)の頃名和武顕家臣東右衛門佐が城代であったが後に戦死、天正一二年(一五八四)三月、阿蘇家人中村伯耆守惟冬在城の時、薩州島津勢に攻め落され戦死す、とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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