矢幡 治美
ヤハタ ハルミ
- 肩書
- 元・大山町(大分県)町長,元・大山町農協組合長
- 生年月日
- 明治45年1月5日
- 出生地
- 大分県日田郡大山町
- 学歴
- 広島高工醸造科中退
- 経歴
- 酒造屋の4代目。昭和30〜46年大山村長・町長を4期つとめる。29年から大山町農協長(62年まで)を兼任、50年大分県農協中央会理事。“ウメ、クリ植えてハワイへ行こう”をキャッチフレーズに、36年から3次にわたるNPC運動(ムラおこし)を展開。一村一品運動の原点として知られた。
- 受賞
- 勲四等瑞宝章 西日本文化賞(社会文化部門)〔昭和61年〕
- 趣味
- 海外旅行 ビデオ 音楽鑑賞 テニス
- 没年月日
- 平成5年10月1日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
Sponserd by 
矢幡 治美
ヤハタ ハルミ
昭和期のムラおこし運動家 元・大山町(大分県)町長;元・大山町農協組合長。
- 生年
- 明治45(1912)年1月5日
- 没年
- 平成5(1993)年10月1日
- 出生地
- 大分県日田郡大山町
- 学歴〔年〕
- 広島高工醸造科中退
- 主な受賞名〔年〕
- 勲四等瑞宝章,西日本文化賞(社会文化部門)〔昭和61年〕
- 経歴
- 酒造屋の4代目。昭和30〜46年大山村長・町長を4期つとめる。29年から大山町農協長(62年まで)を兼任、50年大分県農協中央会理事。“ウメ、クリ植えてハワイへ行こう”をキャッチフレーズに、36年から3次にわたるNPC運動(ムラおこし)を展開。一村一品運動の原点として知られた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
Sponserd by 
矢幡治美 やはた-はるみ
1912-1993 昭和時代後期の農協役員,政治家。
明治45年1月5日生まれ。酒造業から,戦後農業に転ずる。昭和29年大分県大山町農協組合長,30年同町町長となる。36年米作にたよらない農業をめざし,「ウメ,クリ植えてハワイに行こう」をスローガンに独自の村づくりを推進。一村一品運動の先駆けとなる。平成5年10月1日死去。81歳。大分県出身。広島高工中退。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
Sponserd by 