20世紀日本人名事典 「矢田鶴之助」の解説 矢田 鶴之助ヤダ ツルノスケ 明治〜昭和期の教育家 長野県更級農学校校長。 生年明治5年(1872年) 没年昭和25(1950)年5月30日 出生地島根県 学歴〔年〕帝国大学農科大学農業教員養成所卒 経歴帝国大学農科大学に新設された農業教員養成所を卒業後、同大助手となる。のち農業講習会の講師として長野県の各地を巡回。その実績が高く評価され、明治40年には請われて更級郡立乙種農学校の初代校長に就任し、43年まで務めた。大正9年同校が長野県更級農学校に改組すると再び校長として招かれ、二宮尊徳の報徳思想に基づいた農業教育を進めた。また、拓殖教育事業にも関心を持ち、欧米や満州などを視察。昭和9年に同校を退職したのちは東京や生地島根などで実業教育に携わった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢田鶴之助」の解説 矢田鶴之助 やだ-つるのすけ 1872-1950 明治-昭和時代の教育者。明治5年生まれ。母校帝国大学の助手などをへて,明治40年開校の長野県更級(さらしな)郡立乙種学校(現更級農高)の初代校長。大正11年農村教育研究会,15年信濃(しなの)農村自由大学を創立し,二宮尊徳の報徳精神による農業教育にあたった。昭和25年5月30日死去。78歳。島根県出身。【格言など】天を敬して地に親しみ克く人類を愛す 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by