日本歴史地名大系 「矩手開」の解説 矩手開かねんてびらき 福岡県:三池郡高田町矩手開[現在地名]高田町永治(えいじ)矢部(やべ)川河口部左岸に位置する三池郡の新田村落。黒崎開(くろさきびらき)村の地先に造成された干拓地で、黒崎御新開と称され、またその幾何学的な地割から大工道具の曲尺の形状を称する矩の手になぞらえて矩手開、規矩手(かねんて)開、金手(かねんて)開などともよばれた。明治九年(一八七六)に北新開(きたしんがい)村の一部と合併して永治村となるので、永治開ともよばれる。文政八年(一八二五)に柳川藩主立花氏の祖霊社三柱(みはしら)神社(現三橋町)の建築を請負った松延(まつのぶ)村(現瀬高町)の樺島斗一が請負額より廉価で落成したため、その剰余金を資金に黒崎開堤外の開拓を藩主に進言、その許可を得て文政八年一一月七日に着工、翌九年三月二九日に汐留を成就したという(「黒崎開ノ内矩手開地原由書」立花家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by