三池郡(読み)みいけぐん

日本歴史地名大系 「三池郡」の解説

三池郡
みいけぐん

面積:四一・〇一平方キロ
高田たかた

県の南部に位置し、北は山門やまと瀬高せたか町・大和やまと町、東は同郡山川やまかわ町、南は大牟田市に接し、西は有明海に面する。旧三池(三毛)郡のうち大牟田市域を除く全域山門郡の南端の一部からなり、高田町の一郡一町。

〔古代・中世〕

律令制下では三毛みけ郡と称した。郡名の表記は「和名抄」名博本・元和古活字本の国郡部は「三毛」郡とし、元和古活字本は「三計」の訓を付す。いっぽう「和名抄」高山寺本・伊勢本は「三宅」郡とする。さらに「和名抄」東急本においては国郡部では「三毛」郡とし、元和古活字本と同様「三計」の訓を付すが、郷名部では「三宅」郡と記しており、三毛・三宅の両様の表記が混在している。郡名の起源に関しては、「日本書紀」景行天皇一八年七月四日条によると、景行天皇が筑後国高田行宮に至った時、巨大な歴木の倒木にちなんで、この地を「御木国」と命名したという。「釈日本紀」所引の「筑後国風土記」逸文にもほぼ同趣旨の説話があるが、そこでは「御木国」が訛って「三毛」となり、それが郡名となったとする。ただ高良こうら大社(現久留米市)の「高良玉垂宮神秘書」によれば、同社に仕える五姓仕人の一つである草部氏は「御貢所贄人職」とされ、また「高隆寺縁起」の一本(太宰管内志)には「草部氏、御供所職贄人也、三毛郡司」とみえ、三毛郡司であったとしている。こうした点からみれば郡名の三毛は御食に由来するものとも考えられる。「和名抄」には米生よのう十市とおち砥上とかみ日奉ひまつりの四郷が記載されているが、鎌倉時代になるとこの四郷は解体して三毛北みけほく郷・三毛南みけなん郷という表記がみられるようになる。また「三毛」が「三池」とも表記されるようになるが、この三池の呼称は三池庄成立の際に庄号として用いられたのがその始まりであるとして、三毛を国衙領に対する公的呼称、三池を庄園に対する私的呼称とみる説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報