朝日日本歴史人物事典 「石井宗謙」の解説
石井宗謙
生年:寛政8(1796)
江戸後期の蘭方医。美作国真嶋郡旦土村(岡山県落合町旦土)の医師石井信綱(一説に信正)の長男。27歳のころ長崎に遊学,蘭館医シーボルトに西欧医学を学び,『日本産昆虫図説』などをオランダ語に訳し,シーボルトに提出するほどの語学力に達した。シーボルトが国禁事件で離日(1829)後,間もなく帰郷,天保3(1832)年美作勝山藩医に任ぜられた。一時期岡山で開業。このときシーボルトの子楠本イネに産科を教えるとともに,イネとの間に娘たか子をもうけた。のち江戸に出て蕃書調所に出仕したが,地方小藩出身のためか才能を十分に発揮できなかった。<参考文献>中山沃『岡山の医学』,森本清丸『勝山町史』前編
(中山沃)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報