石内庄(読み)いわうちのしよう

日本歴史地名大系 「石内庄」の解説

石内庄
いわうちのしよう

岩内いわうちを中心とする勧学院領の荘園。「中右記」天仁二年(一一〇九)一〇月一九日条に「宿日高郡氏院庄司石内庄司宅申剋庄司有儲」とみえ、藤原宗忠熊野詣の際に石内荘司宅を宿所としており、氏院(勧学院)領であった。熊野街道道中にはほかにも宮原みやはら(現有田市)櫟原いちはら(現西牟婁郡上富田町)などの勧学院領があり、藤原氏の熊野参詣に宿所・伝馬の便を供与した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...

俎上の魚の用語解説を読む