…37年木津川の流路付替え工事を起こして家臣団屋敷や城下町の拡大を図り,近世淀城下の基盤をつくった。尚政の隠居後は子の尚往(なおゆき)が分知により7万3000石余で城主となったが,69年(寛文9)石川憲之が代わって入封した。石川憲之は畿内大名として延宝(1673‐81)の畿内総検地では山城検地を担当し,また元禄(1688‐1704)の国絵図作成でも山城国を担当して,永井氏とは異なる意味で幕府政治に直接関与した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」