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石川憲之 いしかわ のりゆき

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美術人名辞典の解説

石川憲之

江戸前・中期の伊勢亀山藩主・近江膳所藩主・山城淀藩主。廉勝の長男。初名は昌勝、号は泰恵・泰窗。領内の検地の実施と新田開発の奨励を積極的に行い、窮民の救済や治水工事など様々な治績を残した。宝永4年(1707)歿、74才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石川憲之 いしかわ-のりゆき

1634-1707 江戸時代前期-中期の大名。
寛永11年4月1日生まれ。石川忠総(ただふさ)の長男廉勝(かどかつ)の長男。祖父の跡をつぎ,慶安3年近江(おうみ)(滋賀県)膳所(ぜぜ)藩主石川家2代。4年伊勢(いせ)(三重県)亀山藩主に転じ,寛文9年山城(京都府)淀(よど)藩主石川家初代となる。6万石。元禄(げんろく)8年将軍徳川綱吉に「論語」を講じた。宝永4年7月11日死去。74歳。初名は昌勝。号は泰恵,泰窗。

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世界大百科事典内の石川憲之の言及

【淀藩】より

…37年木津川の流路付替え工事を起こして家臣団屋敷や城下町の拡大を図り,近世淀城下の基盤をつくった。尚政の隠居後は子の尚往(なおゆき)が分知により7万3000石余で城主となったが,69年(寛文9)石川憲之が代わって入封した。石川憲之は畿内大名として延宝(1673‐81)の畿内総検地では山城検地を担当し,また元禄(1688‐1704)の国絵図作成でも山城国を担当して,永井氏とは異なる意味で幕府政治に直接関与した。…

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