石川忠総(読み)いしかわ ただふさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川忠総」の解説

石川忠総 いしかわ-ただふさ

1582-1651* 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)10年生まれ。大久保忠隣(ただちか)の次男徳川家康の命により,外祖父石川家成(いえなり)の養子となり,慶長14年美濃(みの)大垣藩主石川家3代。19年実父忠隣の改易事件のため駿府(すんぷ)に幽閉されたが,石川姓ゆえにゆるされ,大坂の陣で功をたてる。加増をかさね,豊後(ぶんご)日田(ひた)藩主,下総(しもうさ)佐倉藩主をへて,寛永11年近江(おうみ)膳所(ぜぜ)藩主石川家初代。7万石。慶安3年12月24日死去。69歳。通称宗十郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の石川忠総の言及

【佐倉藩】より

…10年老中就任に伴い土井利勝が入封(最初3万2400石,しばしば加増されて14万2000石),佐倉鹿島の地に佐倉城ならびに城下町を大規模に建設した。33年(寛永10)利勝の下総古河(こが)への転封後,石川忠総入封(7万石)。35年松平家信(4万石),42年老中堀田正盛が入封(11万石)し,正盛の子正信のとき,いわゆる佐倉惣五郎事件が起こった。…

※「石川忠総」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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