アメリカのプロ野球選手(右投右打)。本名Alexander Emmanuel Rodriguez、愛称はA-Rod(エー・ロッド)。大リーグ(メジャー・リーグ)のシアトル・マリナーズ、テキサス・レンジャーズ、ニューヨーク・ヤンキースで遊撃手、三塁手としてプレー。2002年は遊撃手のシーズン最多記録となるホームラン57本を放ち、03年4月2日のアナハイム・エンゼルス(現ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)戦においては史上最年少で通算300号を達成した。
7月27日、ニューヨークで生まれる。ウェストミンスター・クリスチャン高から1993年、ドラフト1巡目(全体1番目)指名を受けてマリナーズに入団、群を抜く打力とマリナーズの人材難から、いきなり1年目の94年に大リーグ昇格を果たした。1996年からレギュラーの座を確保し、打率3割5分8厘、ホームラン36本、打点123をマークして首位打者となった。1997年は故障でホームラン23本にとどまったものの、翌年から6年連続40本以上をマーク、とくに98年は盗塁46個も決めて、ホセ・カンセコJose Canseco(1964― )、バリー・ボンズに次いで史上3人目の40本塁打40盗塁を達成した。2000年を最後にレンジャーズへ移籍したが、その際に10年間で2億5200万ドルという史上最高額で契約を結んだために批判の声も上がった。しかし移籍1年目から本塁打王のタイトルを獲得、さらに2002年には本塁打王と打点王も獲得し、契約金に見合う活躍をみせた。なお同年には初のゴールドグラブ賞に選ばれている。2003年にはホームラン47本で3回目のホームラン王になると同時に初の最優秀選手(MVP)に選出された。2004年2月に交換トレードでヤンキースへ移籍し、三塁手に転向した。2005年6月、大リーグ最年少(29歳10か月)で通算400号に到達した。同年ホームラン48本で4回目のホームラン王に輝き、2回目のMVPにも選ばれている。2006年は攻守にやや精彩を欠き、とくに三塁守備では24失策を記録し、投手陣に負担をかける結果となった。また、ディビジョン・シリーズでは14打数1安打の不振で、一時は放出のうわさもでるほど地元ファンの信頼を失った。
[出村義和]
2007年は4試合のみの欠場で158試合に出場。前年の不調から脱し、打率は3割1分4厘だったものの、ホームラン54本、打点156で打点王と本塁打王の二冠を獲得、3回目のMVPに選ばれた。また、2001年~03年に続き、4回目のハンク・アーロン賞(リーグの最優秀打者に贈られる賞)も受賞した。
2007年までの通算成績は、出場試合1904、安打2250、打率3割6厘、本塁打518、打点1503。獲得したおもなタイトルは、首位打者1回、最多安打1回、本塁打王5回、打点王2回、MVP3回、ゴールドグラブ賞2回。
[編集部]
アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のテキサス・レンジャーズ、フロリダ・マーリンズ、デトロイト・タイガースで捕手としてプレー。毎年トップクラスに入る盗塁阻止率をマークする強肩を誇り、また打率も3割を超え、ファイトあふれるプレーでチームを牽引(けんいん)する「超万能型キャッチャー」として知られる。
11月30日、プエルト・リコのマナティで生まれる。地元のリナ・パドロン・リベラ高から1988年、ドラフト外でレンジャーズに入団、91年に大リーグへデビューした。翌92年から正捕手として定着し、2001年まで10年連続でゴールドグラブ賞を独占した。打撃は年を経るごとに向上し、1995年に打率3割3厘をマークしてからは、2002年まで8年連続打率3割を超えた。1996年には攻守にわたる活躍でレンジャーズに初の地区優勝をもたらし、99年は打率3割3分2厘、ホームラン35本、打点113、盗塁25の多彩な働きで3回目の優勝に貢献、最優秀選手(MVP)にも選ばれた。2002年限りでレンジャーズを離れ、ナショナル・リーグのマーリンズへ移籍した。2003年は攻守にわたりチームの中心として活躍、リーグチャンピオンシップ・シリーズではMVPになる大活躍をみせて、マーリンズの6年ぶり2回目のワールド・シリーズ制覇の原動力となった。2004年からはタイガースに移籍し、同年には11回目のゴールドグラブ賞を受賞、05年は12回目のオールスター・ゲーム出場を果たした。2006年は打率3割をマーク、守備も12回目のゴールドグラブ賞に輝く堅守でチームを84年以来のリーグ優勝に導いた。
[出村義和]
2007年は129試合に出場、打撃面では打率2割8分1厘、ホームラン11本、打点63と低調に終わったが、2004年から4年連続オールスター・ゲームに選出され、通算14回目の出場を果たした。守備では13回目のゴールドグラブ賞を受賞した。
2007年までの通算成績は、出場試合2152、安打2495、打率3割3厘、本塁打288、打点1182。獲得したおもなタイトルは、MVP1回、ゴールドグラブ賞13回。
[編集部]
イエズス会宣教師。ポルトガルのセルナンセレ生まれ。1577年(天正5)来日し、1580年イエズス会に入会。翌1581年府内のコレジオに入学して哲学、神学を学び、ラテン語を講じた。通辞バテレンとして著名であり、1591年豊臣秀吉(とよとみひでよし)とバリニャーノの会見の際通訳を務めた。1593年(文禄2)上洛(じょうらく)して都(京都)で布教し、翌1594年マカオへ戻って1596年司祭となる。同年日本司教マルティンスPedro Martins(?―1598)に従って長崎に戻り、伏見(ふしみ)にて司教が秀吉に謁見した際、通訳を務めた。1600年(慶長5)徳川家康(とくがわいえやす)と会見して好遇を受け、宣教師の都、大坂、長崎在住の許可を得た。翌1601年日本準管区の会計係となり、1610年にマカオに追放されるまでその任にあたった。1613年に中国内地を旅行して儒教・仏教・道教の研究を行った。著書に最初の日本語の文法書である『日本大文典』(長崎刊)や『日本小文典』(マカオ刊)があり、日本の教会史および日本文化研究書たる『日本教会史』がある。
[宮崎賢太郎 2018年2月16日]
「ファドの女王」として知られるポルトガルの歌手。貧しい家に生まれ、お針子やオレンジ売りをするなど苦労を重ねたが、サン・アントニオ音楽祭に出場して優勝したのち、1940年に本格的にデビュー。以後ヨーロッパ、南米各地に演奏旅行し、大成功を収めた。54年、フランス映画『過去を持つ愛情』に出演し、そのなかで『暗いはしけ』を歌う。同曲は黒人系のリズムを用いた、ファドとしてはむしろ異色な曲であったが、彼女の名唱によって大ヒットし、ファドを世界的に知らしめるのに貢献した。劇的な力強さと切々とした抒情性の交錯する歌唱により、深味のある表現を行う。『孤独』『暗き宿命(呪い)』『なつかしのリスボン』『難船』『かもめ』『ポルトガルの四月』など知られる。70年(昭和45)大阪万国博覧会に際し初来日。90年ポルトガル共和国最高勲章受章。
[田井竜一]
イエズス会宣教師。ポルトガルのアルコシェテ生まれ。1577年イエズス会に入会。1583年ゴアで神学を学び司祭となる。1586年(天正14)長崎に着き、豊後(ぶんご)、大村、平戸(ひらど)地方で活躍したのち、1600年(慶長5)都(京都)に派遣された。1603年準管区長および巡察師の秘書となり、1614年のマカオ追放のときまで長崎にあった。1604年から15か年の『イエズス会日本年報』の作成にあたった。マカオにて死去。
[宮崎賢太郎 2018年2月16日]
イエズス会の宣教師。ポルトガル人。1577年に来日,日本語をよくし,通訳として活躍した。ロドリゲスという姓は,ポルトガル人としてきわめてありふれたものであるので,他と区別するため〈ツーズ〉(通事)を添えて〈ツーズ・ロドリゲス〉の名で呼ばれ,よく知られ親しまれた。豊臣秀吉,徳川家康の知遇をうけ,早くから教会側の代弁者として活躍,禁教の時代になってもなお許されて長く滞在したが,1613年ついにマカオに移り,そこで没した。
著書に長崎版とマカオ版の日本語文法書がある。後者《日本小文典》(1620。《簡約日本文典》ともいう)は前者《日本大文典》(1604-08。単に《日本文典》ともいう)を簡略にしたものであるが,ともに16世紀から17世紀へかけての日本語を詳密に記述していて,今日,日本語の歴史を研究するうえに欠くことのできない文献となっている。《日本大文典》とほぼ同じころ,やはり長崎学林から刊行された《日葡(につぽ)辞書》は,厳密にはロドリゲスの著述ではないが,その編さんはやはり彼と無関係には考えられない。なお,ほかに稿本として《日本教会史》が残されている。
執筆者:亀井 孝
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…室町末期以後になりその基礎がかたまり,江戸後期にいたってそれはほぼ完成の域に達する。ポルトガルの宣教師ロドリゲスが来朝したのは1577年(天正5)であるが,彼は当時の日本で4種類の宴会料理が行われているのを見た。その第1は〈三つの食台の宴会〉,第2は〈五つの食台の宴会〉,第3は〈七つの食台の宴会〉,第4は〈茶を飲むための宴会〉であった。…
※「ロドリゲス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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