石川日出鶴丸(読み)イシカワ ヒデツルマル

20世紀日本人名事典 「石川日出鶴丸」の解説

石川 日出鶴丸
イシカワ ヒデツルマル

明治〜昭和期の生理学者 京都帝国大学教授



生年
明治11(1878)年10月

没年
昭和22(1947)年11月8日

出生地
富山県

学歴〔年〕
東京帝国大学医科大学〔明治36年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
明治36年京都帝大生理学教室助手、38年助教授となり、生理学第2講座増設のため欧米留学、ドイツでマックス・フェルボルン教授に師事、刺激生理学などの研究を積み、ロンドンロシアでも学んで45年帰国、教授に進んで生理学教室を主宰した。昭和13年退官。生理学を医学だけでなく生物全般に押し広め、パブロフの条件反射の研究や、イワノフの家畜人工授精の方法を輸入。また琵琶湖畔大津に陸水研究所(後の臨湖実験所)を建設するなど、日本の生理学発展に大きな足跡を残した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石川日出鶴丸」の解説

石川日出鶴丸 いしかわ-ひでつるまる

1878-1947 明治-昭和時代の生理学者。
明治11年10月5日生まれ。石川太刀雄丸(たちおまる)の父。京都帝大助教授となり,ヨーロッパ留学をへて,大正元年教授。その研究は神経生理学を主に,実験生理学,動物生理学におよぶ。3年大津臨湖実験所(現生態学研究センター)を創設した。昭和22年11月8日死去。70歳。富山県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の石川日出鶴丸の言及

【イワノーフ】より

…モスクワの中央家畜繁殖研究所の初代所長。彼の研究室には世界中から多数の学者が集まったが,日本の生理学者石川日出鶴丸(ひでつるまる)(1878‐1947)もその一人である。【正田 陽一】。…

※「石川日出鶴丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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