石川流宣 (いしかわとものぶ)
江戸中期の浮世絵師。生没年不詳。流宣を〈りゅうせん〉とも読む。名は俊之,通称は伊左衛門。流舟,流仙,画俳軒,踊鶯軒(ようおうけん)などと号した。江戸の浮世絵師菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の弟子で浅草に住み,各種書籍の挿絵や地図を描くほか,浮世草子そのものも手がけた。彼の名のある最も早い作品は,1686年(貞享3)刊の浮世草子《好色江戸紫》で,挿絵は同じ弟子仲間の古山師重(もろしげ)が担当している。翌87年刊の日本全図《本朝図鑑綱目》および91年(元禄4)刊の大型日本全図《日本海山潮陸図》は,道中図と武鑑を兼ねた便利な内容および彩色の華麗さが受けて,約1世紀にわたる〈流宣図(りゆうせんず)〉の時代を出現させた。また正確さよりは見やすさを優先させた江戸図《江戸図鑑綱目》(1689)も好評を博し,彼の名はむしろこれらの地図によって広く知られた。〈万国総図〉系の《万国総界図》(1708)も刊行している。挿絵を描いた書籍としては,《日本鹿子》(1691),《年代記絵抄》(1706)などがある。
執筆者:海野 一隆
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石川流宣
いしかわりゅうせん
生没年未詳。江戸中期の浮世絵師で地図の編画者。浮世草子、噺本(はなしぼん)、艶本(えんぽん)、案内書類の作も多い。浅草に住し、名は俊之(としゆき)、俗称伊左衛門。流宣(流船、流仙)、流舟、河末軒、画俳軒、踊鶯(ようおう)軒と号した。1680年代後半から絵入り地図に新様を打ち出し、『江戸図鑑綱目』(地誌本・地図、1689)をはじめとして1720年(享保5)ごろまで多数の地図を制作した。一方浮世絵師としても活躍し、古山師重(ふるやまもろしげ)と共画の春画組物や『大和(やまと)耕作絵抄』や『吉原大黒舞』(1709)などの挿絵を描いている。一枚絵は確認されていない。また戯作(げさく)者としては『好色江戸紫』(1686)、『正直咄(ばなし)大鑑』(1687)などの作品がある。
[浅野秀剛]
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石川流宣 いしかわ-とものぶ
?-? 江戸時代前期-中期の浮世草子作者,浮世絵師。
江戸浅草にすみ,貞享(じょうきょう)3年(1686)浮世草子「好色江戸紫」を刊行する。菱川師宣(ひしかわ-もろのぶ)流の画風で,「江戸図鑑綱目」など多数の絵図,地誌をかいた。名は俊之。通称は伊左衛門。別号に流船,流舟,踊鶯軒(ようおうけん),画俳軒。
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石川流宣
生年:生没年不詳
江戸前期の浮世草子作者,俳人,浮世絵師。通称石川伊左衛門,名は俊之。流舟,画俳軒,踊鶯軒とも号した。絵師としては,杉村治兵衛に近い画風を示すが,自作の浮世草子の挿絵,好色本,絵図,図鑑類が多く,一枚絵は少ない。
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世界大百科事典(旧版)内の石川流宣の言及
【石川流宣】より
…江戸中期の浮世絵師。生没年不詳。流宣を〈りゅうせん〉とも読む。名は俊之,通称は伊左衛門。流舟,流仙,画俳軒,踊鶯軒(ようおうけん)などと号した。江戸の浮世絵師[菱川師宣](ひしかわもろのぶ)の弟子で浅草に住み,各種書籍の挿絵や地図を描くほか,浮世草子そのものも手がけた。彼の名のある最も早い作品は,1686年(貞享3)刊の浮世草子《好色江戸紫》で,挿絵は同じ弟子仲間の古山師重(もろしげ)が担当している。翌87年刊の日本全図《本朝図鑑綱目》および91年(元禄4)刊の大型日本全図《日本海山潮陸図》は,道中図と武鑑を兼ねた便利な内容および彩色の華麗さが受けて,約1世紀にわたる〈流宣図(りゆうせんず)〉の時代を出現させた。…
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