石法寺河岸(読み)いしほうじがし

日本歴史地名大系 「石法寺河岸」の解説

石法寺河岸
いしほうじがし

[現在地名]真岡市下籠谷

鬼怒川左岸に開設された河岸で、現真岡市域内の河岸の北端に位置する。鐺山こてやま(現宇都宮市)下大曾しもおおぞ(現芳賀郡二宮町)とを結ぶ道と益子ましこへの道とが交わる地点の西側低地に開かれた。代々問屋を勤めた野沢家の系譜(野沢家文書)によれば、太兵衛浩義が寛文元年(一六六一)河岸を開設し、初代問屋となったといい、二代目からは代々権左衛門を称したという。安永(一七七二―八一)から文化(一八〇四―一八)の頃の問屋は平七で、問屋三代権左衛門の時に分家した手代安右衛門家の出身でのちに名主となり、権左衛門家に替わって問屋経営にあたった(同系譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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